静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

重上博客山

まずはじめに、一遍の詩を紹介しましょう。

 

『重上井岡山』   『井岡山ふたたび』

 

久有凌雲志、     天に登る志で

重上井岡山。     井岡山へふたたび登る。

千里來尋故地、    はるかより故郷を尋ねてみると

舊貌變新顏。     懐かしい所が様変わりしていた。

到處鶯歌燕舞、    いたるところで鶯がさえずり燕が舞う

更有澱澱流水、    川がさらさらと流れ

高路入雲端。     雲までの道がはるか天にまで続く。

過了黄洋界、     黄洋界を過ぎてしまえば

險處不須看。     もはや闘うことはない。

 

風雷動、       風雷とともに

旌旗奮、       旗がひるがえる

是人寰。       これが人の世。

三十八年過去、    38年が過ぎ去った

彈指一揮間。     指をはじく一瞬のよう。

可上九天攬月、    天へ上って月を捉えることもできれば

可下五洋捉鼈、    5つの大洋に下って鼈も捕まえられる

談笑凱歌還。     談笑のうちに凱旋の歌声が還ってきた。

世上無難事、     この世で難しい事などない

只要肯登攀。     ただすすんでよじ登れさえすれば。

 

作者は毛沢東

そう、あの毛沢東です。

時は1965年、すなわち文化大革命の前年に井岡山(せいこうざん)という地を訪れた時に作った詩です。

井岡山は毛が1927年に最初の革命根拠地とした所です。それから38年後、頂点の地位につき国を新たに建国したものの、大躍進政策の失敗から主席の座を辞し失意の中、新たな道を模索していた。その時に井岡山に再び登り、初心新たにという心境で作ったとされます。

そしてその後の毛沢東が生んだ歴史は、周知の通りです。

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(アンディ・ウォーホルが、1972年にニクソン大統領が訪中した際に制作した作品)

 

 

さて、この詩を知っている人の9割方はある曲がきっかけでしょう、自分もその一人です。

それは、坂本龍一の処女作たる「千のナイフ」。


坂本龍一 - Thousand Knives - YouTube

 

処女作には作者の全てが詰め込まれている、とよく言われますが、正しくその通りだと思います。1978年の作ですが、童謡的なメロディ、徹底的に選別された音色、古さをまったく感じないどころかある種の時代性を超越さえしている。個人的に、坂本のベストに挙げます。

で、1分30秒にわたる例の詩が、当時最新鋭の機材であったヴォコーダーで読まれている訳ですが、なぜこの詩を選んだかは今のところ言明されていません(自分が知る限り)。

が、推測するに、かつて学生運動の洗礼を受け、聖典たる共産主義の書物を齧ったであろう事を思い出しながら新たに音楽家として世に出る、という心境を井岡山に再び登った毛沢東と重ね合わせたのではないでしょうか。

 

…と、深い見方も可能ですが単純に、この詩がカッコ良すぎるから、という気がしないでも無いです。実際、漢文の素養がない自分でさえビリビリ来てしまい、詩軸が欲しいぐらいです。

 

心機一転し新たに前へ進む、これは意欲や挑戦を表す普遍的な題材です。そしてこの詩は、公私両側面が絡み合った読解も可能です。先述したように、心新たに決意表明した毛沢東という私的な面。その結果として、現代にまで強く影響を及ぼす色濃く塗り上げた歴史。

(余談ですが、中国では指導に立つ者は詩才が不可欠であり、人類史上最難関であっただろう試験たる科挙には、詩文が課されていました)

 

 

何かを外へ表すこと、そしてそれはどのように響き渡るのか。

この新たに始めるブログでそんな事を、稚拙ながらも真剣に考察してゆきたいと思います。

(タイトルの博客とはブログを意味し、つまり詩題のもじりです)