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静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

承認欲求社会を生き抜く100の方法

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                                                    (phot by szk)

ずはじめに謝っておきますが、100もありません。
フリッパーズ・ギターの「バスルームで髪を切る100の方法」という曲と、その元ネタとなったHaircut 100というバンド名をもじりたかっただけです。


さて本題の承認欲求社会についてですが、まずこの承認欲求とは何なのか。
Wikipediaによると、「他人から認められたいとする感情の総称」との事です。

承認欲求 - Wikipedia
つまり、「自分の事を見て欲しい、分かって欲しい、認めて欲しい、できれば褒めて欲しい」ということで、これは他者ががあってそこでの経験を経て生まれる、すなわち後天的な欲求といえます。
例えば、誰かとすれ違ったとき挨拶をして相手が会釈であっても反応をしてくれたら嬉しい。
こういった程度のことでも、自分という存在を誰かに分かってもらえたことになり、欲求が満たされた事になります。
そしてこれは9割方の人間が備え持っているある種、普遍的な欲求かもしれません。
意識的にしろ無意識的にしろ皆、誰かに自分の事を伝えたい。

そして出来ればレスポンスが欲しい。

ただ、現代はその承認欲求が強すぎる傾向にあるのではないか。
「承認欲求」と検索すると、その克服法についての記事で溢れています。
克服、ということは、この強すぎる承認欲求によって生き辛さを覚えている人が多い、といえます。
つまり、その呪縛から解放されたい。

ここで1つの漫画を例にしてみましょう。
それは『彼氏彼女の事情』という作品。

彼氏彼女の事情 1 (花とゆめコミックス)

主人公は幼い頃から親や先生といった大人から褒められ、周囲から自分はすごい人間である思われる、というのをアイデンティティとしていました。
その為の努力は惜しまず、音楽の発表の為にリコーダーの練習を深夜までしたり、試験でトップになるための勉強を必死になってやり、また日々の運動も欠かさず、美容にも磨きをかける。正しく絵にかいた文武両道、才色兼備の持ち主。
すべては人から「すごい!」と認められるために。
ただし、その裏の努力と魂胆は家族以外には決して明せず、何でも出来る優等生というキャラを中学生まで演じてました。
しかし高校に入って一転します。
主席合格して入学式で代表挨拶をする予定でいたのが、まさかの次席。
そして自分より優れた人物が目の前に表れ、周囲にも自分の狡猾さがバレて…と話が進んでゆきます。

この作品は90年代に連載開始されたものなので、今ほど承認欲求という言葉は使われて無かったでしょう。
そしてこの主人公のように、承認欲求の塊のような人は少なかったはずです。
が、先述の通り、今ではそんな人達が増加し、麻薬のごとくそれに苦しむ人が増えている。

 

こうなった背景には、やはりネット、通信媒体の普及が一番の要因でしょう。
つまり自分を公にする事が爆発的に増えた(これは以前書いた記事にも関係します)。
メールをし返事が遅いもしくは来ないと気になってしょうがない、SNSに投稿して多くの人から反応が欲しい、そんな欲求が日常生活でも溢れてくる。
当然ながら自分も例外ではなく、本ブログも一人でも多くの人に読んで欲しいし、メールを送って返事が無かったりすると非道く落ち込んでしまう人間です。
(ついでながら書きますと、メールをして出来るだけ早く返事をするのが当然、という立場を取っている自分からしたら、返事は二の次にしてTwitterなどでどうでも良いことをつぶやいていたりする人を見ると、憤りを覚えたりします。というより、傷つきます。気にしない人も増えているでしょうが)



そんな承認欲求の束縛から逃れる方法はあるのか。

根も葉もなくなりますがハッキリ言ってしまうと、根本的な解決策は無いと思います。
というのも、冒頭に記したように、これは人間の普遍的な欲求であるから。
問題は、その調整を出来るかどうかです。

突起な案を出せば、無人島に1人で暮らせば良い、というのがあります。
が、それでも人は承認を求めるはずです。
そこでの対象は、もはや人ではありません。
動物であったり木樹であったり海であったり太陽であったり星空であったり、ひいては神的なものに、自分が存在している事を分かって貰いたい、と欲するでしょう。

 


しかし世の中には、他からの承認をまったく欲しない、という人々もいます。
その極例として、ヘンリー・ダーガーを挙げてみましょう。

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で

今でこそアウトサイダー・アートの代表格として扱われていますが、当の本人は作品を公にする気持ちは小指の爪先ほど無く、自分が死んだらそれらの処分を希望したと伝えられます。
自分による自分のための作品を、掃除夫として生活する傍ら死ぬまで創り続けた。
徹底的な自己承認の塊です。
現代でアートとして評価されているのは、彼にとって物凄く不名誉なことでしょう。
これは、ゴッホなどの不遇の天才とされる作家達との大きな違いです。
彼らは評価すなわち承認が欲しかったが生前叶わなず、皮肉にも死後評価された。
しかし、ダーガーには「他者からの評価」という価値観が端からまったく無かった。

むしろ邪魔というほどに。

承認欲求というのと対峙する際の一考として、ダーガーのような人のことを頭の片隅にあって良いと思います。


さて、我々の多くはダーガーのような人間でも無いし、またそうなれない。
そして、人々の承認欲求がさらに強くなってゆくであろう世の中を、生きてゆかねばならない。
そんな中で、できるだけ苦しまないで生き抜く方法は何があるか。

ひとつ思い浮かぶのは先にも書いた通り、その強弱を調整するしかない、というのがあります。
これはダイエットに近いのではないでしょうか。

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

岡田斗司夫のこのベストセラーによると、痩せたいと思っているのに太っている人は「肥る努力」をしているから、らしいです。
だから、それをまず肯定的に自覚し自分の摂取量をコントロールすれば必然的に痩せられる、とのことです。

これを承認欲求に置き換えると、「強い承認を求める努力を日々している」となります。
そして、その欲求が満たされるごとにさらに欲求が強くなる。
結果、太った人が身動きがし辛く痩せられない自分に悩むように、承認の欲求が肥大化し苦しんでゆく。

であるならば、やはりまずその自覚をし、その欲求を自分なりに統制する必要があるといえます。
具体的にはどんなの方法かというと、月並みですが、やはりこの承認欲求社会の主要因たるネット環境からちょっと距離を置く、のが第一歩かと思います。
ケータイが普及した時代からもう何度も何度も耳にしている言説ですが、LINEに代表されるような数文字の他愛ないメールのやり取りを執拗にやる暇があるならば、直接会って話したら良い。その方が少しは欲求が解消されるだろうし、話の質や密度も高いものになるというのは言うまでもありません。
だがしかしこれらも個々によるので一概といえない、という事も留意せねばなりません。


基本的に、人は孤独には耐えられません。
同時に、人から承認を求めすぎるのには限界があり自縄自縛に陥ってしまう。
これは「つながり」とか「絆」という流行的に浸透した言葉の裏側について、ライトを当てる必要性と関連して来るので、それについてはまた改めて書く予定です。

 

承認をめぐる病

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