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静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

ボブ・ディランという呪術師

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ブ・ディランを観てきました@Zepp DiverCity 2014/03/31
4年前の来日公演から2回目のディランで、その歳月の流れに色んな想いに馳せってしまいます。

また前回観た時は公演最終日で、今回は公演初日ということも感慨深かったです。

ライブの感想を記す前に、そもそもボブ・ディランというのを何なのか、と一考するのは野暮ったい感じがしないでも無いのですが、個人的な整理をします。

 
ディランの経歴や歴史的意義とかその凄さについては、散々書き尽くされています。
特にはてなキーワードのやつは誰が書いたのか、非常に熱が入っているというか扇情的で、無機的なWikipediaと違った解説がされていて面白いです。

ボブ・ディランとは - はてなキーワード


という事で、詳しい経歴はそれらを見て頂くとして、個人的なディラン観ですが、そもそも自分がこの天才を知ったのはいつだったか。
Rock史を学びながら名盤とされるものを漁り始めた頃、ビートルズなどと並んでベストに必ず挙がる天然パーマで尖った鼻をして鋭い眼光の男がいる、それがどうやらボブ・ディランという奴らしい。

で、早速聴いてみた1965年作の『追憶のハイウェイ61』。
はじめてディランを体験した多くの人が抱く感想の例に漏れず、自分もその第一印象は「え、なにこれは?」というものでした。
つまり、よく分からない。
でも一度聴いたら忘れられないあの声とサウンド。
この奇妙な感覚を抱きながら、しばらく耳を慣らす時期が続きました。
そしていつしか、それも唐突にその呪術に近いものに取り憑かれていたのです。

自分は誰かの「ファン」というものになった事が、実は一度もありません。
追っかけやマニアといったものはさらに遠い感覚で、多分一生味わえない境地だと思います。
自分がアイドルなどにハマれない理由もそこにあり、その目を輝かせているファン達が羨ましく見えることもしばしばあります。

したがって、自分はディランのファンでは無い。
が、先述の通り、呪術にかかってしまった。

そして、これにかかったのは、ビートルズ(特にジョン・レノン)をはじめとするRock・Pops史を築いたほぼ全ての人物から、カーター〜クリントンオバマといった大統領、文学者、映画監督、そしてジョブズ…とまさにアメリカ文化史を作った人々。


我が国の音楽勢で言えば、60,70年代のフォークの連中から、はっぴいえんどといった日本語ロック化計画を推進した人々〜現行に至るまで、みんな洗礼を受けてしまった。

ちなみに、桑田佳祐があんな声なのもディランの影響らしいです。
漫画家ではみうらじゅん浦沢直樹がディランフリークなのは有名だし、最近では『惡の華』の押見修造がディランの曲に感化された暗い中高生時代の事を書いていました。

 

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つまり、みんなディランになりたかった。
でも絶対にああはなれない。
その代わり呪術にかかってしまう。

そして、その呪いにかかった一番の人物は何より、ロバート・アレン・ジマーマンという北国生まれのユダヤ系アメリカ人、すなわちボブ・ディラン本人なのです。
当人もそれに自覚的なようで「ボブ・ディランはずっと昔から居たんだ。自分はその分身にすぎない」みたいな発言をしています。

ボブ・ディランとは何か?
一言では形容不可能ですが、あえて言うなら、まず単純に純粋に、カッコいい。
そして、変化を絶え間なくしてゆく、すなわち進化してゆく生き物で、それが現在進行形で続いている。
50年に及ぶディランの活動を自分なりに分析してみても、少なくとも20回近くスタイルを変えています。


多くのベテラン歌手というのは、過去の遺産を背負う運命にあります。
活動を続けてゆくというのは当然ながら、作り手も受け手も歳をとる。
そして大半の受け手は自分が一番多感な時期に経験したものを、振り返って味わいたい。
つまり、懐メロとして体験したい訳です。

したがって、ベテラン達はその受け手の求めに応じなくてはならない。
昨年観たポール・マッカートニーも例外ではなく、セットリストはビートルズ時代〜ソロにかけてのヒット曲が大半占め、新曲を時折まぜるといった感じにし、アレンジも極力抑えてかつてのように勇ましく歌う。
すなわちエンターテイナーに徹し切るわけで、これには常人離れのパワーが必要であり、モノスゴイ事なのです。


対してディランはどうかというと、近年発表した曲をセットリストの中心にし、歌い方、アレンジが毎回違う。
有名曲でも、かつてのようには決して歌わない。
その上、メロディを崩しまくって歌う。
タイトル、歌詞は同じでもまったく違う曲になっている事がほとんどです。


そのため、観客(特に往年のファン)は昔を懐かしんで一緒に歌う、ということが不可能です。
だから終演後、ほとんどの人が会場を出て思う感想は「いや〜良かったなぁ」といったカタルシスが満たされるものではない。

「え、なにこれは?」、という正しく最初に体感した奇妙な思いに駆られるのです。
そしてしばらくすると、再び例の呪術にかかっている…


これは、4年前にはじめて生のディランを観た時の自分が体験したことです。

そしてまた、信じられないことに今回も開口一番「え、なにこれは?」という感想を抱くことになりました。

 

今回、再認識した事と新たに発見したことがあります。
こんなことを50年前から今に至るまでやり続けてる人物を、自分は未だディラン以外知らない。
そして上記の通り、ボブ・ディランというのはもはや歌手というより、呪術師であると自分は考えます。


その呪術会の公演初日どんなものだったか。
次回に続きます。↓

ボブ・ディランによるライブという名の呪術会 #2014/03/31 - 静夏堂

 

 

ボブ・ディラン自伝

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