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静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

『青天の霹靂』映画感想文 〆ネタバレ有

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団ひとりの第一回監督作、『青天の霹靂』を観ました。

劇団ひとりは天才かもしれない」と思わせた作品でした。

お笑い芸人、俳優、小説家として確かな地位を獲得し、今回の初監督作な訳ですが、これを「マルチな活動をしている」だけで表すのは不十分です。

お笑い出身で映画人としても足跡を残せているのは今のところ北野武だけですが、それに続く可能性が1番高いのは劇団ひとりかも知れません。

 

以下、ネタバレ有りの感想文。

 ■

この映画を一言で表すと「祝福と喝采」の話です。

物語としては劇団ひとりの同タイトルの小説を原作とした、タイムスリップもの。

人生に絶望している売れないマジシャンの主人公轟晴夫(大泉洋)は、ホームレスとなっていた父親の訃報を知らされ、父親の死に場所である土手沿いに向かった所、晴天のなか雷に撃たれ、目を覚ますとそこは1973年の浅草。

その年は晴夫が生まれる前年であり、戸惑いながらも特に混乱することなくそこでは価値を認められない現代の500円玉をいじりながら手品をしていた所、劇場に出入りしている少年と出会い浅草の劇場に連れてゆかれ、支配人に認めらて舞台に立つことなります。

そこで助手役の綺麗な女性である悦子(柴咲コウ)と出会い、晴夫は軽く惚れてしまいます。
が、悦子には同棲している同じ劇場に立つ芸人の男がおり、妊娠しているのを知ります。

その男がある日警察の厄介になり、晴夫は具合の悪い悦子に変わり警察に出向きます。

そこに居たのは、轟正太郎(劇団ひとり)。

すなわち若き日の晴夫の父親で、悦子は母親であり、そのお腹にいるのは晴夫なわけです。

全てを察し、母親は晴夫が生まれたと同時に逃げ去ったと聞かされ頼りない父親のもとで育ち両親を憎んでいた晴夫は、極めて複雑な心境でこの若き2人を眺めます。

もちろん真実を言っても信じて貰えないだろうから、未来から来たなんて口にしません。

 

そんな中、晴夫と正太郎はコンビを組まされ舞台に立つことになるのですが、日を追うごとに人気はうなぎ登りで連日満席となってゆきます。

ここでのマジック芸が、映画越しから笑ってしまうほど、ものすごく面白いです。
さすが劇団ひとり大泉洋という2人が演じるだけあります。
というか劇中の演技というより、マジなコントです。

 

浅草で天下を取ったも同然となった晴夫は、次なる野望としてテレビの世界に入ることを決め、正太郎と共にオーディションを受けにゆきます。
ここでも大評判で最終オーディションまですんなりと進むのですが、悦子に異変が起きます。
それは、もし子どもを産めば悦子は死んでしまうかも知れない、というもの。

動揺を隠し切れない正太郎は、芸に熱が入らず途中で舞台から降りてしまいます。

それに怒った晴夫は正太郎を突き詰めるのですが、そこで事態を知らされます。

それを聞いた晴夫が、正太郎すなわち父親に放つ言葉が「堕ろせよ」。

つまり、生まれてくる子どもである自分を「殺せよ」と言っている訳です。

どうせろくでもない人生になってしまうのだから「堕ろせよ(殺せよ)」。

それを聞いて正太郎は晴夫を殴り倒します。

 

コンビは解消され、正太郎はラブホテルの清掃員になり、晴夫はそのまま最終オーディションに挑みます。

その日は晴夫の誕生日、すなわち悦子の子どもが生まれる日です。

分娩室に入る寸前、悦子が正太郎に名前は決まったかと尋ね「女だったら晴子で男だったら晴夫だ、外晴れてるから」と言ってはドアが閉まると同時に「がんばれ!」と叫び、これが生涯の別れとなります。

 

ここからの描き方が非常にニクく、不覚にも涙してしまいました。
この作品、そのシーンを観るだけでも価値があると思います。

 

分娩室のライトが照らされるのと同時刻に、息子晴夫は最終オーディション会場である大舞台の照明を浴びます。

命を引き換えに我が子を生む母親。

その子どもはその時、大劇場で華麗なショーを行っている。

そして生まれた事を知らせる赤ん坊の泣き声と力尽きる母親の腕。

同時に生まれてはじめての大喝采を受けているその息子。

晴天の中そこでまた雷が撃たれ、晴夫は舞台から姿を消し、現代に戻ります。

 

目を覚まし茫然自失な中、警察から連絡が来て、実は死んだのは父親では無く最初に通報した質の悪いホームレスのいたずらによる誤報であったと知らされます。

その質の悪いホームレスは正太郎で、2人はその場で再開。

我が子にもう一度会いたかったからこそそんな方法で呼び寄せ、照れを隠し切れない父親正太郎。

そして真実を全て知った息子晴夫は最後に「ありがとう」と言って映画は終わります。

先述しましたが、この作品は「祝福と喝采の映画」です。

どんなに惨めな人生を送ったとしても、この世に生まれたことに対する祝福。

そして、生きてゆくことに対する喝采。

そんなのを主題とした作品は多々ありますが、ここまで味深く描けたのは、劇団ひとりがお笑い芸人であるからこそだと思えます。

芸人にとって舞台で喝采を浴びるか浴びないかは、生きてるか死んでるかに等しい。

そのため単なる喝采の意味とは成り得ず、本作では二重のニュアンスが絡んだものとして描かれている訳です。

 

この作品を通して、劇団ひとりの照れさが見え隠れします。
そこが良い点でもあり、惜しい所でもあります。
映画として押し込まねばならない所が、力不足だったりするのです。

例えばラストは「ありがとう」なんて決め台詞で終えるでなく、もっと余韻残る終わらせ方が出来たはずです。

そして劇団ひとりは、多分その事を分かっているはず。

だけど照れが邪魔をして力を入れられなかった、と見えます。

ですが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と似た構造のタイムスリップもので、ここまで描けたのはとにかくすごい。

冒頭にも触れましたが、お笑い芸人が映画を撮るというのは、純映画監督とは違ったプレッシャーがあるはずで、それを打ち破る作品を撮る事が出来ているのは北野武のみです。

その北野武という巨大な前例があるが故の、二重のプレッシャー。

松本人志ですら、それを打ち破れていないと自分は思います。

(ちなみに、松本人志選民思想的な映画を撮るでなく、ダウンタウンの故郷たる尼崎を舞台とした映画をまず作るべきです。彼の真骨頂たる切なさと笑いという表裏一体のものが絶妙に描けるはず)

 

そんな中での劇団ひとりの映画デビュー作である本作。

北野武はヴァイオレンス路線をモノにしましたが、劇団ひとりは本人が語っている通りチャップリンの悲喜劇の路線をたどる事が出来ると思えます。

 

ただし、映画に限らず作品というのは、次作そして何より三作目からが勝負です。

というのも、処女作は今までの経験で作れ、二作目はその経験から作るのが可能ですが、三作目からは経験というものを武器に出来ず、地力が試されるからです。

そんな面からもこれからの劇団ひとりの作品に注目したい、と思いました。

 

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