静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

英雄にあこがれて−三島由紀夫についての私見.1

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ルーハーツの曲に、『英雄にあこがれて』という曲があります。

おしまれながら死んでゆく 
英雄にあこがれ
いばらの道を見つけだし
クツをぬぎすてる

 

あんまり平和な世の中じゃ
カッコ悪すぎる
宣戦布告!手当たり次第
そうです これが若者の…

…といった歌詞です。

題名、内容通り、日常に辟易としている多くの若者が抱くであろう「英雄願望」について歌った曲です。

英雄願望、これは何かというと「日々安定した生活を送っているもあまりに退屈すぎて、つまりドラマが無くて倦怠感を覚える。何か劇的な事が目の前で起こらないだろうか…その主人公になって英雄的、耽美的にロマンチックに死にたい…」といったものです。

人間というのは、平和や安泰を望むと共に、上記の様な願望も抱く、実に我儘で矛盾した生物なのです。

自分はこの願望、というか一種の症候群を、10代中頃に極めて複雑な状況であったのと、所謂「セカイ系」諸作品に触れてしまったが為に、発症してしまいました(元々その気はあったのですが)。

これにかかると、良い面では、ロマンチックな夢想を人より抱け、芸術作品に対する理解をより深められます。

それと引き換えに、日常とのギャップに嫌というほど苛まれます。

一種の呪いなのです。

今ではこうやって明文化しある程度客観的に捉えられるようになったものの多分、一生治る事は無いでしょう。


そんな「英雄的、耽美的なドラマをもって死にたい症候群」ですが、表現者とされる人種は多かれ少なかれ、発症しコンプレックスを抱いています。

その中でもずば抜けて、というかトップに位置するであろう人物は、三島由紀夫だと自分は考えます。

三島については、以前にも軽く記しました。

理想屋の憂鬱と快楽 - 静夏堂

三島由紀夫、というと晩年の活動と劇的な最後のため思想政治的な面で語られがちです。

また、その人生と作品読解についての文献は豊饒の海の如くあります。

なのでここでは、その「英雄願望と美への破壊に取り憑かれた代表例の人」としての彼の人生を大まかに追いながら個人的な三島観について記します。

■祖母の溺愛

先述の通り、多くの芸術家はコンプレックスの塊です。

そんな中でも、三島はずば抜けている。

それは何故か。

第一要因としてまず、祖母の支配的溺愛の元で育ったことが挙げられます。

生後間もなく母から切り離され、外で遊ぶことは禁じられ、遊び相手は祖母が選んだ女の子連中で当然ながら男の子らしい遊びは出来ない。

祖母夏子は若い頃、皇族家に行儀見習として仕えた為、華族意識が強かった。

でも悲しいかな、高級官僚一家といえども階級としては平民。

このことが、祖母にとっては許し難い超えられない壁であり、コンプレックスであった。

その埋め合わせとして、孫を上記のように愛で育てては学習院に入学させ、能や歌舞伎などの伝統芸能に触れさせた、といえます。

それが三島の文学的素養となり、同時にコンプレックスを受け継いだといえます。

■リアル・セカイ系的状況のなかで

第二の要因、というか決定的にしたのが、「世界が終わるはずの戦争に青春期に直面したのに、死ねなかった」ことです。

彼は、リアルに「セカイ系」なる物語世界の「登場人物」になれた訳です。

しかし、配役としては工場で勤労動員をするお坊ちゃん帝國大生。

戦火が悪化するに連れて、ついに彼の元にも応召が来るものの、入隊検査で誤診され兵隊にはなれず、終戦を迎える。

同年代の若者が戦地に赴き闘い死んだのに、すなわち英雄として死んだのに…

自分にはそれが出来なかった、夢みた事が現実で叶うチャンスがあったのに生き延びてしまった…

こんなことを生身で経験してしまったら三島に限らず、「全ての英雄的耽美的セカイ系的死願望を抱く人間」にとっては死ぬほどキツいことであり、自分もひどく同情します。

■その埋め合わせの創作と人生

さて終戦後、東大法学部を卒業した三島は大蔵省に入ります。

これは祖父も父も叶えられなかった大蔵官僚という夢と劣等感を、3代目にしてようやく達成、解消されたといえます。

しかし、作家活動に専念するため1年も経ず辞職します。

そして書き上げたのが『仮面の告白』。

そっからはあっという間に文壇の地位を確立し、すらすらと流行作家となって、文学史に残る作品を生み出してゆくのです。

全ては埋め合わせのために。

■貧弱な身体の肉体改造

いとも簡単に作家として大成功を収めた。

しかし、まだ何か足りない。

なんだろうか、と模索しながら世界一周をした。

そこでファクター的なものを掴み得た。

それは肉体。

しかし自分は貧弱な身体。

これを改造するしかない…

そんな矢先に、スポーツマン学生にして芥川賞をとった石原慎太郎の登場。

石原と三島の関係は色々言われてますが、『仮面の告白』から十年近く経った中で現れ、センセーションを起こし戦後若者達のカリスマ的存在となった石原に対する三島の内なる衝撃影響は大きかった、と自分は思います。

ボディビルを始めてはみるみる肉体が鍛えられてゆき、自分自身そのものを作品として世に出せる、としてメディアにばんばん出ては、映画出演や写真集の被写体にまでなる。

並行するように、作品は世界に紹介されてゆき、ノーベル賞候補にも目される。

……それでも、やっぱり何か足りない!溝が埋まらない!……

もうここまで来ると、「理想が高い」とかそんなもんでは済まされない状態にいってしまったのだな、と今この文章を書いきながら気付き、また軽く吹き出してしまいました。

これは嘲笑では無く、心情がシンクロして自分だったら絶対耐えられない、という強い同情と自分と三島との距離感ゆえです。

 

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英雄にあこがれて−三島由紀夫について.2 - 静夏堂