静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

英雄にあこがれて−三島由紀夫について.2

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島由紀夫についての私見その2です。

(その1については↓を)


英雄にあこがれて−三島由紀夫についての私見.1 - 静夏堂

■果たし得ていない約束へ

自決までの、臨界点スレスレの三島の自分自身を使った活動はめまぐるしいです。

死に急ぐ、というより時間が迫ってくる。

時間が経つというのはつまり、自分自身が劣化してゆくこと。

武道を習い、民兵を組織し、自衛隊体験入隊し、大義名分として日本の伝統と美の象徴として、天皇を置く。

しかし、その天皇は人間化した「昭和」天皇では決してない。

三島の昭和天皇に対する感情がまた複雑なのですが、とにかく「何かの為に死ねる」対象として超越的な天皇を念頭にした、と言えます。

何かの為に死ぬ、すなわち英雄的に死ぬには、敵が居なければならない。

そこで、美意識なんか放り捨ててヌクヌクと高度成長を遂げる「現代日本」を置く。

同時に、かつての25年前の自分自身も仮想敵にし、果たし得ていない己との約束を叶え得るために邁進した、と推測します。

赤塚不二夫作品的ギャグ自決、および夢の成就

三島の人生で最も劇的にしてその最後である、三島事件についてですが、自分はこの事に対して、「ギャグ的であり、文学的であり、幸福的である」と捉えています。

ギャグ的というと誤解を招くかも知れませんが、「現代の侍」と見ていた自衛官に対して演説するも、昼食前だったので腹を空かして苛ついていた彼らには全く届かず、むしろ罵詈雑言を浴びせられ、目的は果たせず腹を切る。

これは体を張ったコントであり、古代ギリシアから現代まで続く悲喜劇ととれます。

三島は赤塚不二夫の作品を愛読していたそうですが、まさしく赤塚漫画のようなオチ。


一方で、「劇的」なのでそれ自体が極めて文学的である、とも言えます。

豊饒の海』第2作である『奔馬』の主人公さながら、というかそのまんまというか。

命をかけた、政治的主張と決起が叶わなかった、という点では悲劇でしょう。

しかし、三島由紀夫、平岡公威という個人がずっと描き続けていた夢(劇的な死)が、このような形で現実とする事は出来た。

つまり長年の夢、25年前に叶わなかった夢を、最後の最後にして実現できたということです。

なので、その最後は三島個人にとってある意味、幸福だったのではないかと思います。

安倍晋三の姿

自分は、現代日本の政治について記すつもりが基本的にありません。

深い理由は無いのですが、「政治について深く突っ込むと、視野狭窄と思考停止に陥りそう」という直感がどこかにあるからです。

乱暴な言い方をすると、さらに馬鹿になりそう。(本当に個人的感覚ですが)。

 

ただ三島について記している以上、ひとつ書きたいのは、安倍晋三首相と色んな意味で被ってしまう、という事です。

まず三島が官僚一家に生まれたように、安倍首相もまた政治家一家に生まれ育った点。

三島は専業小説家になった後も官僚時代と変わらず時間通りに生活しては人付き合いも良く、安倍首相もまた大手製鉄会社でのサラリーマン時代から非常に律儀で寛容的に働いていたといいます。

どちらも、良くも悪くも生真面目な典型的日本人です。

そして何より、「強い自分」を無理して演じている点です。

安倍家を背負っている=山口(長州)を背負っている=日本をオレが背負っている、背負わなくてはならない…という大義名分。

でも安倍晋三というその人自身には、精神的にも身体的にも、ものすごい重荷であり、その器では持ちきれないはず。

それでも先の名分のもと、「強い日本」を強調している。

しかし自分には、その「強い日本を」は、「強い自分を」と自己暗示しているように聞こえてしまいます。

首相自身、三島についていくつか言及しており、どこかで自分と重ね合わせているのではないでしょうか。

先述の通り目下の安倍政策について、政治に疎い自分にとっては判断が出来ないので言及を避けますが、そんな「強い自分」を必要以上に演じている安倍晋三というその人自身を見ていると、非常に辛かったりします。

人間は決して強い生き物では無い。

「強く生きよう」とする気持ちは大切ですが、それを無理に演じているのを目にするのは、ましてやそれが一国の主だと、見苦しいというより、辛いのです。

各自それぞれの重荷を背負いながら「強がっている」人というのは、なにも三島や安倍晋三だけでなく沢山居るはずで、自分もまたその1人だからこそ感じてしまう、一種の同情なのかも分かりません。

■作品について

メディアはじめ三島作品よりもその人生にクローズアップされすぎており、結局本記事もその人生に偏りがちになってしまいましたが、彼の作品について幾つか記してみます。

自分が今まで読んだ中での好きな三島作品を…と思ったのですが、「好き」なのは1つも無いかもしれない。

自分が読んできた文学作品の中で心から「好き」と言えるのは、梶井基次郎の『檸檬(収録作ほぼ全て)』と谷崎潤一郎の『春琴抄』と村上龍の『昭和歌謡大全集』とダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』ぐらいで、そういった作品との「好き」のニュアンスとがかなり違う気がします。

 

ただ代表作とされるのをひと通り読んだ上で、単純に「凄いな、よく出来てるな」と思うのを挙げますと、どうしてもありきたりになってしまいますが、『仮面の告白』と『金閣寺』と『豊饒の海』四部作あたりかなと。

仮面の告白』については、24歳にして自分というのを徹底的に解剖して、それをフィクションの形に昇華させている点で。

デビュー作にはその著者の全てが内包されている、とよく言われますが、その典型的な作品かと思います。

仮面の告白 (新潮文庫)

仮面の告白 (新潮文庫)

 

金閣寺』に関しては、言うまでもなく精密機械のように徹底されて創られた文学作品として。

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)

 

豊饒の海』シリーズは、第一部「春の雪」が大正の貴族世界を舞台にした儚い恋物語で、話としては1番しっくり来ます。

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

 

第二部「奔馬」は先述のように、三島の最後がそのまんま描かれてるのと、読んでいて軽く熱が入ってしまう点。

奔馬―豊饒の海・第二巻 (新潮文庫)

奔馬―豊饒の海・第二巻 (新潮文庫)

 

第三部「暁の寺」は戦前のタイを舞台にどこか天上的な匂いを感じさせつつも、仏教哲学や唯識論などクソ難しい事を分かるような文章に書きつつ、でもやっぱりクソ難しいよ、と思っちゃう点で。

暁の寺―豊饒の海・第三巻 (新潮文庫)

暁の寺―豊饒の海・第三巻 (新潮文庫)

 

最後の「天人五衰」は、中盤までの現代劇が、三島の厭世的な現代観が露骨に描かれてて胸クソ悪くて嫌になるのですが、ラストのSF的どんでん返しにはセンス・オブ・ワンダーを覚えてしまいます(ボケ落ち、と言えなくも無いですが…)。

天人五衰―豊饒の海・第四巻 (新潮文庫)

天人五衰―豊饒の海・第四巻 (新潮文庫)

 

ちなみに『豊饒の海』とは大層で素敵な題名ですが、自分の中では『本多繁邦 不可思議体験記』となっています。

 


また解説書については先述の通り沢山ありますが、書物でなく最も端的にかつ本心を突いているものとして、『Mishima:A Life in Four Chapters』という三島の人生と代表作を絡めた映画があり、それをお勧めします。

正直に言うと、三島の小説そのものよりも面白いしかなり好きです。

この作品は、三島から影響を受けたコッポラとルーカスが製作指揮をとり、緒形拳沢田研二といった俳優陣が演じるという超豪華な作品であり、カンヌで賞を取ったほどの大傑作です。

ただし、1985年にアメリカにて制作公開されたものの日本では未公開で、未だ正式国内盤がありません。

でも今や観られる機会は多い…というかビートルズの『レット・イット・ビー』さながらネットでいくらでも観られるので、一度視聴されて良いかと思います。

 

写真集 三島由紀夫 '25~'70 (新潮文庫)

写真集 三島由紀夫 '25~'70 (新潮文庫)