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静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

好き?好き?大好き?ー人と人の間で生きる事について.2

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                                     (Photo by SZK)

本的に、自分には友達が居ません。

……と、よく口にしてしまうのですが、これには語弊があります。本当の所は「(自分が理想とする友達が)居ない」というのが正しいのです。

これは、極めて一方的で自己中心的でエゴにまみれたものです。欲深い以上の何かイヤなのを感じてしまい、自己嫌悪に陥ることもしばしば。ですが大なり小なり皆、こんな思いを心の何処かで抱いているのではないでしょうか。というのも普段、付き合っている相手に対して何かを求めない人、というのは聖人君子以外存在しないのでは無いか。もしくは、他人について全く興味が無いかのどちらかだと思います。

 

以前も記しましたが、自分は誰かれ構わず人のイヤな部分やキライになってしまう所を見付ける能力が、天才的にあります。で、これは当然ながら小指の爪先ほど無ければ無いほど良い力であります。この能力を活かす職業は何かとなれば、恐らく検察官あたりで、天職と化していたでしょう。(実際の検察官に対する厭味ではありません。読者の方にもし検事さんがいらっしゃったら、どうか気分を害されませんように)

 

で、そんな呪われた才能を有するがゆえに、自分は簡単に人を嫌いになれます。だから人間、というか人類が嫌いで、結果友達が居ない(少ない)となるわけです。

さて、そんな人類嫌いな癖して、人から嫌われることを自分は極度に恐れます。誰かから嫌われたくないという思いは、これもまた皆持っていることでしょう。ですが、自分の場合は強迫的とさえ言えます。もう我が儘過ぎるというかなんと言おうか、分かりません。

具体的に言いますと、「さっき自分はこんな事を言ってしまった(行ってしまった)が、自分のことを嫌いになってしまったのでは無いだろうか…?相手は傷ついて無いだろうか…?」といった感じです。これもヤラシイのは、相手が傷ついたかどうかは二の次で、まず「自分が嫌われて無いかどうか」が先に来る所です。

一方で、「喜んで貰いたい」という意識も、人並み以上に強かったりします。たとえば会話した際、その場を楽しんで貰いたいので面白い事を言おうとあれこれ考えたり。一見、サービス精神が旺盛と言えます。が、これもまた自分の事を「褒めて貰いたい、良い奴だと思って貰いたい、好きになって貰いたい」という思いの現れに過ぎないのです。もしくは、人を嫌いすぎるが故の無意識な贖罪的行為なのか。

 

で、追い打ちをかけるように、そんな「好印象を抱いて欲しいが為の上記の言動をしている自分」が時に、ムチャクチャ嫌になったりします。

もうどっちに転んで良いやらで、終いには「もうどうでも良いや。疲れるから、みんな消えちゃえ…無に帰そうぜ…」と危険で諦観的で終末的心境に陥ったりします。

もうそんな事を解消するには、完全に分かり合えるニュータイプと化すか、人類補完計画が達成されて融け合うかのどちらかしかありません。

以上の通り、自分は普段「いい人」を必要以上に演じてしまいます。自分の事を「いやな奴」と宇宙一理解しているからです。「そんな事を堂々と口にするのは甘えだ!」と言う人も居るかも知れませんが、自分はそこまで隠し事を出来る人間じゃありません。いい人を演じるのは建前的行為ですが、これだけは本音で偽れない事実なのです。

演じる、というのは骨の折れる作業です。しかし、やらないよりは、少しでもそんな事を演じていた方が、人と人の間で生きてゆく上でプラスになることは間違いありません(参考に 超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略 増補改訂版 岡田斗司夫著を)

あとは、自分の中でどう折り合いと調整を付けられるかどうかです。

一気にまとめますと、こうです。「自分は、基本的に他人も自分自身も大嫌いである。一方で、嫌われたく無いし、自殺したくなるので自分自身もそこまで嫌いになりたくない。なので、好きになって欲しい、自分自身に対してもうちょっと肯定的になりたい。だから、少しでも人に好かれる事をしたい、他人や自分の好きだな良いなと思える所を模索する努力をしてゆきたい。疲れるけど、やらないよりマシ」ということです。

考え過ぎだ、と言われるとそれまでで、自分も度を超えてるなぁと重々承知の上です。

それでも、コツコツ積み上げてゆきたい。

これは一生続くことでしょう。そして多分、一生かけても達成されない事かも知れない。

それでも、重い荷物を背負って前へ進み生きてゆかねばなりません。

そんな意識がここ数年、精神的にも肉体的にも了解出来るようになり、今こうやって言語化しているだけでも、少しは成長したかな、と思っている次第です。

最後に、冒頭の友達は居ない、と言っても先に書いた通りそれはやはり誇張で、友人はいくらか居ます。そして、そんな友人らのことを心底尊敬していたりもする。彼らと接した際も、時折「あ〜コイツのこんな所、死ぬほど嫌いだわ」と例の症候群が発生したりするのですが、それでも心の奥底から「こんな友人に恵まれて良かった、嬉しい、幸せだ」と偽りなく感じるのです。

そんな友人らといつまでも仲良くしていたいなぁというのと、これから先そんな友人に出会いたいなぁ、と女学生(古い表現ですね)の日記みたいですが、強く願っていたりしてます。

 (ちなみに題名の元ネタはR・D・レイン好き? 好き? 大好き?―対話と詩のあそび です。エヴァ方面で有名になっちゃいましたね。自分もその口ですけど)

 

「人と人の間で生きる事について」シリーズ↓