読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

笑いとダウンタウン

f:id:shizukado:20141201042047j:plain

い、というのが自分の中で最も価値が高いものです。笑いこそ、人類最大の発明です。どんな音楽や美術や映画だろうが、笑いの前では平伏します。極端な話、命より高いです。もし「死ぬほど面白いのを得ると同時に死ぬ」と「笑いは無いが不老不死」のどちらかを選べかとなったら、一瞬で前者に決めます。多分、腹上死願望のそれと近いです。固っ苦しい理屈まみれの記事ばっか書き散らかしてますが、素の自分はそんな人間なんです。

そんな自分がお笑い芸人を目指したことはあるかと言うと、一度もありません。笑いに目覚めたのと同時に、ダウンタウンに出会ってしまったからです。というか、笑いの感覚が先なのか、ダウンタウンに植え付けられたのか。多分、性の目覚めとフェチの刷り込みのそれと近いです。

以下、笑いとダウンタウンについての私感。

ダウンタウンの呪いと感覚

意外と気付かない事ですが、ダウンタウンのせいで不幸になった人は多いと思います。ご存知のように、この2人は基本的に上から目線で嘲笑的な要素が強いものを提供します。加えて、松本人志の発想は「この感覚は自分にしか分からない!」と特権的に思わせる魔術を持っています。結果、周りの者がツマラナイ奴に映り、小馬鹿にしてしまって、普段の生活があまり楽しめなくなる。ダウンタウン以降、全ての芸人がその呪縛から逃れられないように、受け手たる我々も呪いにかかっています。

ダウンタウンの笑いが理解出来ない、という人も彼らが布教した感覚をどこかで備え持ち、どこかしらで触れています。ネット文化がまさにそれです。ネットにおける笑いは何事も批判的に捉えた挙句、嘲笑に嘲笑を重ねる形なのが多勢です。正直、こういった光景が散見される世の中はあまり良いとは思いません。ですが、笑いの感覚が洗礼されればされる程、こういった形になり致し方ない話でもあります。これは、芸人が単にズッコケたりギャグやダジャレ等をかましても、我々はもはや簡単に笑う事が出来ないレベルに居ることを意味します。

笑いの感覚が強くなればなるほど、麻痺して不感症になります。猥雑で過激なコンテンツが大量にしかも無料で溢れ入手出来る今、大人ビデオを借りて興奮と嬉しさのあまり半笑いになる人はもう居ないのと同じです。何事もそうですが、一度底上げしてしまうと二度と下には戻れず、豊かになる事と引き換えに得る不幸です。つまり、ありがたみが無くなり感動できなくなる。そして、さらに刺激が強いものを渇望してしまいます。

◆笑いのメタ化

さて、ダウンタウンの笑い感覚を簡単に抽象すると「サブい」と「キツい」と「ヘタレ」の3つが挙げられるでしょう。これは「うわ、サッブぅ〜」とか「キッツぅ〜」とか「お前ヘタレやないか」とか彼らがよく口にする事から見て取れます。で、これらを天才的なボケとツッコミで類を見ない笑いに昇華させる。

そして何より、笑いをメタ化してしまった。「何がおもろいんねん」とか「お前らが面白いだけやないか」と笑いの醒め自体を、笑いにしてしまったのです。あとでも記しますが、これは『ワールド・ダウンタウン』という番組で頂点に達します。

この笑いのメタ化をここまでやってしまったのは自分が知る限りこの2人と、アニメの『シンプソンズ』ぐらいかと思われます。ちなみに、『シンプソンズ』を観ていると、こんな事を表現し放送できるアメリカという国と世界はまだ大丈夫じゃないかなと安心したります。(あともう一つ笑いをさらにメタ化させてしまったのがネット文化の中にあるのですが、ちょっとアレなので言明を避けます)。イギリスにはモンティ・パイソンが居ましたが、やはりインテリジョークが鼻につくので、知的な笑いも欲しければ『シンプソンズ』で十分です。

◆松本映画には浜田が必要

そんな笑いの革命児ダウンタウンも、黄金期は過ぎたとこの頃見聞きします。芸人に限らず表現者には皆ピークがあります。『風立ちぬ』の中で「人の黄金期は10年だ」といった台詞がありますが、ものすごく当てはまります(が、そんな事を言わせている宮崎駿という白ヒゲの趣味がやや特殊な松本がキラいなこの天才は、50年選手です。これは例外中の例外)。

自分は別にダウンタウン信者でも無いので、ある程度は頷けます。彼らを取り巻く状況もさることながら、冒頭画像の通り髪があった時代の松本人志を見れば、目が完全にイッており「こいつはクスリをやっている!」と専門家に言われるほどのボケをかましまくってました(自分はそれを後追いで知る訳ですが、当時のガキの使いトーク等を今見てもその発想は完全にイッています)。

ただ、今でも十二分に面白く腕はさして衰えてはいないコンビです。というか、ダウンタウンを超えた芸人が未だ居ないだけなのかも知れません。居たら教えて下さい。

 

松本人志は映画を撮るようになってしまいましたが、残念ながら評価に値するものは今の所ありません。映画や物語というのは残酷なほど構成論理が要求されますが、彼にはそれが悲しいほど欠けている。かつ、映画でさらに笑いをやろうとしているのが辛い。本人は不条理でシュルレアリスムなものをやっているつもりでしょうが、デビッド・リンチの境地には程遠い。また笑いでは北野武に勝てたものの、理系出身でかつ笑いと対極にあるシリアス・ヴァイオレンス路線で世界レベルになったその天才の後ろ姿はさらに遠いです。

そこで提案なのが、浜田雅功と共作すべきだという事です。恐らく松本監督の周りにはイエスマンしか居らず、結果グダグダになっていると思われます。そこで、ツッコんでまとめる役が必要な訳ですが、超最適で唯一無二なのが隣に居る。編集の段階で呼んで「そこは要らんやろ!」とツッコミがあると、良い物が出来ると思います。あと次作をやるなら、故郷尼崎を舞台にした戦友高須光聖が描いた『あまりかん。―尼崎青春物語』を原作に、彼一流の切なさ表裏一体なものをやって欲しい所です。


◆ワールド・ダウンタウンと今後の要望

先にも記しましたが、『ワールド・ダウンタウン』という番組が10年前にありました。自分が観てきたダウンタウンの番組での最高傑作であり、同時に最も面白かったTV番組です。

深夜といえよく放送出来たなというレベルの内容で、ソフト化が絶対されること無い番組なのですが、有り難い事にネット社会です。この番組を観ると人類最先端の笑いを得られると引き換えにさらに不幸になります。が、観ないと人生損しているので、ぜひ観ましょう。

最後に要望を言うと、ガキの使いのトークをさっさと復活すべきです。加えて、かつて松本人志が1人で武道館ライブをやったように、フリートークを大舞台でやって欲しい。そうなったら、徹夜してでもプレミアついてでもチケットを入手します。あと、最近銀髪にした松本ですが、金髪なビートたけしに対抗しているみたいで辛いので、これを機会にぜひ昔の髪型にして欲しい。多分彼の究極な境地は、ごっつであった「50周年」のコントみたいな「マジな意味でのボケ」だと思うので、銀髪右分けでそこまで行って欲しいものです。

 

↓90年代へのまとめと決別