静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

意識が高い子供と大人の目線

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判的に何事も捉え、叩き散らすのが散見される世は人類史上初です。そんな世の中は決して良いものではありませんが、それほど特異な現象だとは思いません。人間なんてのは、いつの時代も愚痴をこぼし憂晴らしを探す生き物なのです。

そんな中、この頃目立つものとして挙げられるのが、意識が高いと呼ばれる若者へのそれでしょう。

意識が高いとされる若者は、なぜこうも叩かれがちか。それは「粋がり感」が半端無いからです。彼らは、目が眩むほどの何かを信じ切っており、猪突猛進な姿勢を有しています。それはそれで褒められた事ですが、往々にして視野が狭くなり公性が極度に欠ける。

地頭がそれなりに良い彼らは、そんな状況と意見を冷静に受け入れます。ですが、言動を観るに身体が頭に追い付いていない。だからか、体臭のようにそんな粋がり感が漂い、鼻つまみに扱われる。

これは「出る杭は打たれる」のニュアンスとは違います。意識が高いのが集まるようなシンポジウム等で、いい歳した講演者が「君たちは出る杭だ!」と叫ぶのを耳にする事がありますが、辟易とします。そういった所に来てる時点でそんな自覚が端からある。それを目前で言われたら、その粋がりに拍車をかけてしまいます。ある意味、個性自由尊重主義な幻想を刷り込ませる教育のそれと変わりありません。

ただほとんどの人間は、歳を取るにつれ落ち着いてゆくものでしょう。それは周囲と同調的になり埋没したとも言えます。が、他者と関わり共存共栄する以上、ある程度の規律を身に付けなくてはなりません。つまり、世を知り大人となる必要がある。

多くの意識が高い若者とは「純粋で好奇心旺盛な、世の中を知らない計算高い子供」です。計算高い子供は、確かにイラつくもの。ですが、大人はそれを優しく見守らなくてはいけない。そして、親が子供を叱りつけるように、時として指導も必要。もちろん虐待にならないレベルです。が、残念ながらそうと言わざるを得ない程の、度を超えた体罰があまりに目立ちます。厭世的な自分は、ここで大人の消滅を見てしまいます。

では、どうしたら良いのか?教育を見直すべきだとか道徳の重要性を高めろとか、改善点批判点はいくらでも挙げられますが、そんな堂々巡りな意見はもはや聞き飽きました。

「人殺しをしようが、子供に罪はない」という立場を取ると、やはり大人が必要となります。なので、消えてしまった大人の復活を目指し、その地盤を築くしかありません。

 

概して、意識が高いとされる若者は、社会を牽引するような立場を目指しており、実際その道を辿ります。それはそれで立派な事ですが、ある種のエゴの露呈と肥大化であり、自己中心的とも言える。つまり、子供のまま。

先導する者がそのようであると、多くの人が道を誤ります。だから人の上に立つものは、家父長的な親分肌な人間でないといけない。親分がエゴまみれの出る杭的人間だったら、同類のイエスマンは集まるでしょうが、ほとんどの人間からは信頼されず組織は崩壊します。なので、世を引っ張りたいと思っている者が見習うべきなのは、経営コンサルタント的人間ではありません。仁義に生きるヤクザ親分の方です。

 

 

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