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静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

人を動かしたくなるのは何故か?-潜在的な3大欲求

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治家や官僚はじめ、何かを動かしたいという人々が居ます。名目上、世の為に動いている事になっており実際、どんなにクソ政治家と言われようがそんな志が無いとあんな立場に居られません。そして、彼らには2つの欲望が潜在的にあります。それは、支配欲と操作欲です。

いわゆる指導型の人間はこの欲望を、人一倍備え持っています。そうでないと、他者に関与してその人生に深く影響を与えるほど何か動かそうとは思いません。

 

この欲望に顕著な人種がもう1つあります。それは自分のような理想型です。指導型が現実世界を操ろうとするのに対して、理想型は空想世界の方にベクトルが向かいます。「なんでこんな世の中じゃないんだ!俺だったらこんな世界を望む!」という思いが人一倍強く、逆に無いとフィクションなど描かないし描けない。

その欲望は限りなく、「全人類が自分の為だけに動いて欲しい」と一週間に9回ぐらいは思ってしまいます。なので、指導型より欲深いと言える。だから、ヒトラーはじめ全ての独裁者は、指導型と理想型の合併型となります。

考えてみれば、人類だけでなく生き物というのは、3大欲求に加えてこの支配欲と操作欲があるからこそ、今日まで存在していると言えます。そして防衛欲。意識化されない3大欲求です。

支配と操作の欲求の現れゆえ、領土を拡大し、それに抵抗するため防衛する。つまり、これらの欲求=エゴのぶつかり合いが、歴史というものです。

それらを娯楽として解消し満たしてくれる身近なものに、ゲームがあります。織田信長囲碁好きだったように、指導者は大抵ゲーム好きです。そして、どんなに頂点に居ても現実では実現出来ない理想世界を描いてくれる映画が大好き。人や国を操るのも、その延長線上にあります。

もう1つこういった欲望が表に現れるものがあります。それは教育です。これもまた、する側とされる側の双方のエゴの闘いです。

何度もエゴについて言明していますが、エゴというのは極めて強烈で、嫌でも言動に反映されます。それ自体は普遍的なものなので良し悪しはありません。それを上手く操れるかどうかが問題なのです。

自分が「個性自由尊重」という理想主義な教育に疑問を呈し反対するのは、そのエゴを肥大化させ自制出来なくさせてしまうからです。逆にスパルタ教育も、する側の押し付けであり、受け手はそれを抑圧させられ変な方向に行きがちである。

教育問題が長年取り沙汰されていますが、最終形態は無く、更新を永久に続けます。教育を改善したいというのならば、少なくともこういった欲望があるという事を前提に、話を進める必要があります。

 

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