静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

『嫌われる勇気』読書感想文

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『嫌われる勇気』を読みました。感想文を記します。

ビジネス、自己啓発系として2014年にかなり売れたそうで、書評もよく目にします。なので、そんな薄っぺらい類のかと思っていたら、結構頭を使った読み方が要求されました。

それでも一読した感想を一言で表すとやはり「自分も他者も受容し、今を生きろ」という自己啓発、メッセージ本となります。それでも薄っぺらい印象を与えないのは、一読ではすんなり頭に入らず、2,3回読むに値する本だからでしょう。ここがありふれたビジネス自己啓発書とは違う点です。

 

心理学系を題材とした一般向けなものは、どうしてもスピリチュアル寄りになります。そして、根本的な部分で言われている事は基本的に同じ。あとは、解釈と表現が違うだけです。

物理学など純理学と違って、心理学や哲学には絶対がありません。学者によって多様な解釈が可能で、あとはさじ加減ひとつである。結果、「フロイトによると」みたいな言い方しか出来ない。すなわち、教義的なものにどうしてもなる。教義との違いは「これが絶対である。それ以外は認めない」とはならない点。

 

本書はその「アドラーの教えによると」を極力薄めて提供したものとなります。そんな教えを、哲人と称される老人と、それに異を唱える青年の問答で構成されています。青年は我々読者が疑問に思うことを、片っ端から問い詰めます。哲人は自身の体験を踏まえながら、アドラーの教えに則って応える。ただ、論理のすり替えではないか、という部分もいくらか見受けられ「おいおい」とツッコみたくなりました。


嫌われるのがこの世で1番怖い自分にとっては、目から鱗とまでは言わずとも、かなり腑に落ちる所もあります。ただしそれは頭の上での「納得」であり、肉体的なものではない。本書にも記されているように、「アドラー理論を実践に移すには10年以上かかる。それでも今知る事が出来たのは、幸福である」とのこと。この辺りも啓発的、教義的な匂いが漂ってしまいますが、致し方ないかと思います。

 

フロイトの原因論に対して、アドラーは目的論を取ります。原因論が分解であったら、目的論は展開です。自分はそのどちらも必要だと思っているので、一概にすることはできません。

「悩み」がある際、「なぜ?」と掘り下げて現状を把握するのは重要です。自分の場合、ここで「納得」と判を押すことが出来て、モヤモヤが晴れます。そして次に「では、どうすれば良いか?」と展開構築してゆく。つまり落とし所を探る。それを自分が出来る所から実践してゆく。

こういった事は、頭でやるよりノートに書くなど目に見える形にした方がすんなり行きます。

これからの世の中は、精神的豊かさをより求めるようになります。もっと言うと「幸福や充実感」を過度に求めてしまう。得られなかったりすると、そんな自分に嫌気がさして悶々としてしまい、逆に暗い気持ちになってしまう。

なので、幸福追求というより、「淡々と牧歌的に日常を生きた方が、色んな意味で楽ではないか」と本書を読みながらふと思いました。

 

あと、どうでもいい事ですが、青年が哲人のああ言えばこう言うな答えに「ううむ…」と口をつぐむ表現が多出し、それが「ぐぬぬ」と見えて仕方なかったです。脳内イメージをそれにすると、コミカルに読めるかと思います。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え