静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

平和学習は役に立ったか?ー思考止揚!

 

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和学習というのを、戦後生まれの人は皆受けているかと思います。

例に漏れず自分も小学生の時、平和資料館や防空壕を廻ったり調べたことを発表するなど、かなりの時間が割かれていたのを思い出します。戦時中の写真や映像、体験者の話などを通してその悲惨さを身近に感じたりしました。

 

──そう「感じたり」はしました。が、なんでそんな情況になったのか?なんで戦争になったか?と本質的な面で「考えたり」はしなかったし、出来なかった。

これは非常にもったいない事だな、と今にして思います。

 

「平和学習は、日教組による自虐史観GHQ憲法を植え付けているに過ぎない!」とネット上で散見されるような事を言うつもりは毛頭ありません。「日本はかつてアジア諸国に非道いことをしたんだ!」というニュアンスが混じった事を口にするような教師が中には居たりしましたが、先の大戦を身近にし歴史の延長上に今生きているのだというのを実感する機会としての平和学習は有意義です。

が、先述の通り、「考える」事をもっと提供すべきでは無かったのか?「思考を鍛える」題材としてどんな教科よりも最適だったのではないか?

 

自分の経験上、平和学習というのは戦時下での「悲惨・悲劇性」にクローズアップしすぎというか、そういった面しか教えられなかった気がします。悲劇性をダシに感情面に焦点を当てたそれは、「戦争=最低最悪、平和=最上最高」という単純な二元論を刷り込み、思考停止を誘発します。

古来より宗教の世界では聖戦というのがあるし、日本中を焦土と化したアメリカでは悪者たる枢軸国に勝利したので第二次大戦は「Good War(よい戦争)」という事になっています。つまり、国や文化によって解釈が多種多様であり、戦争の善悪を一概に定義することなど不可能なのです。

にも関わらず、その凄惨さを知らされて言葉を失っている年端もいかない者達に、安直な平和至上主義を教えるのは、視野狭窄にし脳をフリーズさせ逆に非常に危険であるとさえ思います。そもそも、思考停止が国中を覆ったことが先の大戦の一因になったとも言えるのでは無いのか。

 

平和学習とは名ばかりで「平和学」となっていません。これらは天地ほどの差があり、後者は学問体系として「なぜ戦争が起こるのか?どうすれば平和を達成させられるか?」と模索し、「歴史」を体得させ得るものです。戦争といえど国や人それぞれのドラマがある。それは悲劇的の一言で片付けられるものではありません。

再三になりますが、せっかく過去の戦争に触れられる機会が多い中で、思考させず「戦争は悲劇で平和最高。以上」で終わらせるというのは非常にもったいない事だと思います。

この頃、小中高生が所謂「ネトウヨ化」していると聞きます。ゲーム以上に嵌りやすく、知的水準乏しくも面白可笑しい情報(というかネタ)がお菓子の山のごとく溢れるネットがこんなに身近にある今、当然の成り行きです。現行のままではこれからさらに増加するでしょう。

皮肉なことですが、先の平和学習で「考えること」を提供しなかったのが、このような情況を産んだ土壌の1つでは無いかと推測します。戦争平和を知ることは、国を知り民族を知ることに直結します。こと近代の戦争はナショナリズムや人種のぶつかり合いな訳で、それを通して「戦争とは何か?国家とは民族とは?生とは死とは?というか、人間とは?」と様々な事を考える種となり、我々は考える藁になり得る。

 

「子供ですらネトウヨ化か、嘆かわしい」と言うのは簡単ですが、そんな事を口にする大人こそ思考停止そのもの。むしろ子供だからこそ極端な思想信条に走りやすい。なので当然ながら、こうなっているのも大人の責任であります。

子供というのは、大人の後ろ姿を想像を絶するほど観ており、恐ろしいほどです。

ネット社会を例にすれば、先のネトウヨ的言説を流布しているのは良い歳した者たちです。一方で、鬼の首を取ったような安倍政権批判や突飛な反原発を訴える駄菓子のような言説をSNS等を通して広めているのも、また変わらぬ輩たち。

彼らは一様に「歳だけ取った、安全地帯でヌクヌクと生息している生き物」と見て良いです。考えることをいつの間にか放棄し、その自覚すらない腐敗した有機物。そこから出た有毒ガスをまき散らしている。

そんな玉石混淆(いや石石石ばっかりで極めて稀に玉)のネット世界で、リテラシーを高めるのは非常に困難です。それがスポンジのように吸収する子供が入ったら言わずもがな。そこで現場の重要性が説かれるわけですが、先述の平和学習の如くという情況…。

…とまあ、嘆いてばかりでは仕方ありません。考えて、落とし所を探ってみましょう。

とりあえず、愛とロマンだけでは世界は救えません。

一方で、理性だけでも太刀打ち出来ない。

「インスタントな情報ではない血肉となる知と情緒を摂取し、それらを元に思考して止揚する意識を死ぬまで持ち続けるのが、戦争はじめ面倒なことに対処する唯一の手段である」というのが今の所の自分の結論です。

知ることも考えることも、やろうと思えばいつでもどこでも出来ます。

ぼぉーとしている時でも、科学者が新発見するが如く、落とし所や名案が浮かぶかも知れませんしね。

 

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