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静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

僭越ながら、読書について-前篇

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読書家になったつもりは一度もありません。

自分なんてのが読書家なんてとてもとても……と手の平を斜め上に出しては伏し目がちに言いたくなります。一方で「読書家やインテリなんかに、死んでもならんぞ」という変な反発心もあります。もはや絶滅しているであろう文学青年みたいなのが大嫌いだし、「本読んでは講釈垂れてねえで、現場へゆけ!」と主にアカデミズムの知識人達に言いたくなるし、子供が引きこもって本ばっかり読んでいたら「外で遊んで学んで来い!本は寝る前にでも読め!」と一喝してしまうでしょう。

 

と言いつつも、我が家の本棚4つはギュウギュウだし、部屋中にブックタワーが乱立しており、この文章を書いている机上には数冊散らばっている……つまり本と触れ合う時間が多いというのは事実。

実際、自分は本をどれぐらい読んでいるのか?物忘れが激しく強迫障的メモ魔なので、読了すると日付と感想をデータとして残しており、数値化が可能です。

この1年で平均すると、月10数冊というのが相場でした。30近くの月もありますが、それは主にフラットな読みやすいのを連読していた時です。逆に2,3冊の時もあって、これは読まれることを拒否したかのようなクッソ面倒くさい文章で書かれたのをノート取りながら熟読していたか、単に意欲低下していたかのどちらかです。

以上のように、数で見るととてもじゃないが読書家なんて言えた口では無い。それでも食事のように習慣化され消費しているので、「まあまあ読んでいる方」かと思います。

では、なぜ本なんか読んでいるのか?

読書体験を軽く振り返りたいと思います。

最も古い読書は何だったか。

それは忘れもしない、母が寝る前に読み聞かせてくれた絵本や童話などです。

我が両親は別に読書家教養人でも何でも無く、郊外に住む典型的な中産階級の勤め人。教育熱心では無いが習い事など子供がやりたければやらす、といった感じでした。なので「本を読め」とか「勉強しろ」の類は一度も言われた事がありません。

そんな放任主義的な家庭でしたが、幼児向けの学習オモチャが妙に充実していました。自分が初めての子供だったというのもあってか、情操教育の意識が一応あったのでしょう。

その中の1つに大量の絵本があった。それを母が就寝前に読み聞かせる。

何かアメリカのホームドラマにありそうな光景ですが、ともかくこの体験は読書だけでなくその後の自分に間違いなくプラスな影響を与えました。(ちなみに母とはその後、内戦並に衝突を繰り返したりしましたが、この恩は終生忘れることはありません)

 

その時読み聞かされた絵本ですが、何を読んだか大半は忘れています。

だけど、今でも鮮明に思い出されるのが『はじめてのおつかい』。

はじめてのおつかい(こどものとも傑作集)

はじめてのおつかい(こどものとも傑作集)

 

最近書店で超久しぶりに本書を手にしました。とても不思議な感じがしました。初版は1977年なので、作中の風景は完全に昭和。それを自分が幼少期に読んでいたのは90年代初頭。そして20年後の今、振り返って読んで見た訳ですが、その世界観を通して味わう感覚が当時と変わらず同じなのです。大人になったら読み方が変わるよく言いますが違いました。ノスタルジーの類でも無い。そんなの通り越した、もっと奥深いものに触れた感じがしたのです。

さて、そんな原体験からして読書少年になったのかというと、そうではありません。図工作やゲームに夢中で、『エルマーのぼうけん』のセットを買って貰ったのが記憶にあるぐらいです。

自発的に書店に出向くようになったのは10歳頃で、きっかけは「マンガを描こう」とふと思い立ったから。マンガを描く方法系の本を求めては書店に行き、マンガを描く為にはデッサン力が必要だなと芸術コーナーをうろつき、物語を作らねばならないなと文芸コーナーを廻る…といった連鎖があっという間に出来ていました。

結局マンガはモノになりませんでした。が、この辺りの時期が自分の読書本屋遍歴の直接的ルーツとなり、またその後の人生をも決定付けたターニングポイントとなりました。

これらの影響で芸術系の世界にはすっかり入り込みましたが、小説はあまり読みませんでした。名作マンガを読むのでお腹一杯だったというか、それよりエッセイの方が好きで特に五木寛之あたりをよく読んでいました。

 

積ん読されてゆく書物を前にして「本を早く読む方法は無いか?効率よく勉強出来る方法は無いか?」と探り始めたのもこの時期です。小中学生の分際でビジネス書コーナーをうろついては、自己啓発書を読み「オレって天才どころか、超人になれるかも!」と得意になったりしてました。

今にして思えば、このインスタントな優越感を早くに味わっておいて良かったです。「自己啓発書なんて小指の爪先ほどしか役に立たない!」というのが半笑いで叫べるほど体得できたから(あくまで自分の場合は、ですが)。これらは、やる気がどうしても出ない時に精力剤を飲むようプラシーボにかかりたい時だけ読めば良いのです。

 

速読術に関しては、相変わらず平積みで売られているので少し記します。

自分が知る限り、巷に出回っているほとんどの速読術とは、「天才アスリートが書いたスポーツ術」です。つまり、常人に出来るものではない。映像記憶を身に付けるとか動体視力を鍛えるとか色々ありますが、そんな事している暇あるなら普通に読書した方がよっぽど早く読めるようになります。早く走りたいなら、走り込みをするしかない。

ただ多くの人は、走り込み自体を「テクニカル」にやりたいという欲望を抱いている。

経験上、唯一確証性がある速読術があります。それは「自分でも手が届きそうなちょっと難し目な名著を熟読する」こと。結果、いま売れている大半の本は「相対的に」早く、そして簡単に読めるようになります。

「何事も急がば回れで、コツコツ地道にやるのが結局のところ速道なんだ」というのを肉体的に実感したのはここ最近で、かつ実践中の身だからあまり偉そうに言えませんが。

 

長くなって来たので、後篇へ↓

 

本を読む本 (講談社学術文庫)

本を読む本 (講談社学術文庫)

 

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