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静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

僭越ながら、読書について-後篇

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前回の続きです↓

■文学齧り出し期

本を読み始めた頃、小説はあまり読まなかったと書きましたが、10代中頃から有名なものを背伸びして読んでゆきました。当時熱心に見ていた某個人系書評サイトがあって、そこで評価が高いのを参考にしながら。

日本近現代文学の古典期たる明治のを読もうにも、漱石あたりで既に精一杯でした。鴎外なんかは未だにシンドいです。大正ロマンに気触れてた頃は、谷崎あたりを読んでいたのでドンピシャで、脚フェチを発症してしまいました。またこの時期に読んでた梶井基次郎の一連の作品(すべて『檸檬』に収録)は生涯の1冊となってます。太宰や三島も同列に読んでいて、この2人からは作家という生き物と同族嫌悪というのを学びました。どちらもその生き様や人間性がホント大っ嫌いです。

三島と同時期の作家にして友人でもあった安部公房は、そんな古典主義的文学臭さを払拭させてくれました。急死していなかったら、大江健三郎ではなく彼がノーベル賞を取っていたというのはよく言われます(所詮、ノーベル賞なんてそんなものだというのが逆説的に分かりますね)。今読むと、アバンギャルド臭がどうしてもしますが、とりあえず『砂の女』は原作も映画もどちらも体験して下さい。

現代作家ではとりあえずW村上を。破壊と爆発が好きな自分にとっては龍の方が抜群に相性良く、ほとんど読みました。1番面白くて好きなのは『昭和歌謡大全集』。春樹の方は処女作『風の歌を聴け』と次作の『1973年のピンボール』が割と好きで、『ノルウェイの森』はすぐ売りました。

 

……やはり文学云々を語るのは赤面します。如何せん読んでないモノが多すぎる。実は今でも、小説を読むというのはかなり面倒臭いのです。なぜなら2時間で終わらないから。ただ目下、ドストエフスキー以下のクッソ長ったらしいロシア文学を消化中なので、ちょっとは改善されてゆくかも知れません。『失われた時を求めて』なんざを読了した暁には、どんな景色が見えるのでしょう。

■アンチ読書期

文学や哲学に気触れるも、アホみたいにバカだったので結局なんのモノにもならず、鬱屈とした時期が到来します。「読書なんかして何の役に立つんだ!」と悶々としては、ネットばかりしていたアンチ読書期。

これが落ち着いて「基礎を固め、腰を据えてちゃんと読書しよう」と立ち直ったのは、ここ最近の話です。

そんな時期があったせいか知りませんが、「読書至上主義」な主張には違和感を強く抱きます。ひいては「知性」そのものへも。「読書しない奴はサルである」みたいな啓発本がよくありますが、そんな事を偉そうに言っちゃう時点でその人の頭が猿人から進化していない事を物語っているので、気にすることありません。

自分の場合、本を読むのは知欲を解消するか疑問を解決するか、もっといえば退屈へ抵抗する為のいち手段に過ぎません。なので、頭が良くなるとか人生が豊かになるとかは、自分にとっては二次的なものです。

■ナマ本の方が合理的

前にも書きましたが、ネットや電子書籍について少し記します。

個人的には、Wikipediaを代表にネットからは多くの情報を得てはその恩恵を受けて来ました。ただ、それはあくまでショートカット出来る「情報」に過ぎず「知や教養」になるものでは無い。読むのが学術論文だったりしたら話は別でしょうが、9割方の人間が摂取するものは駄菓子のようなものです。つまり、栄養価が無いに等しい。恐ろしいのはそれらを通して「知」を摂取していると思い込んでいる人が多いということです。結果「ネットde真実」みたいな事を口にしては、失笑を買う。この頃はGoogleで検索してもまとめサイトがトップに躍り出るどころかトピックにすら取り上げられていて、その限界を実感します。なのでこの頃の自分は、精神衛生上的にも「ネット断ち」を意識的に行っています。

 

電子書籍についてですが自分の場合、iPhoneKindleアプリが入っていて、その中で電子化しかされてないものをたまに読むぐらいの使用度です。なので、ほぼ馴染んでないに等しい。

電子書籍より紙の本で読む事が多いのは、単に「現物で買った方が安上がり」だからです。Kindle版より中古で買った方が安いし、BOOK OFFゆけば100円で手に入る事もある。自分は利用することはまず無いのですが、図書館で借りれば実質タダです。

ナマ本の場合、貸し借りも出来るし要らなくなったら売る事もできます。何より「モノ」として自分の生活空間の一端を担う(もしくは侵食)される事によって、読む意識が刺激される。ビブロフィリア(愛書家)ではありませんが、現時点では結局モノの本の方が合理的なのです。

また「ディスプレイ越しの2次元を媒介とした情報より、3次元の本の方が記憶に定着する」という報告も聞きます。信憑性がどれ程あるかは分かりませんが、少なくとも眼の負担度から言えば「紙の方が優しい」なのは経験上確かです。

まあ書かれている事は一緒なので、今後は好みの問題となってくるでしょう。

■ブックリスト本のすゝめ

ザッと読書について書きましたが、タイトル通り読書体験がスズメな涙ほどしかないのでホント気兼ねします。(一方で、そんな感じを覚える事自体、知や教養に対して屈服している様で自分にムカついたりもする…)

そんな自分が言うのも何ですが「読書したいけど、何を読んだら良いか分からない」という人がよく居て、そんな人にはとりあえず「読書家が書いたブックリスト本や読書法本」を読むことを薦めています。

速読術なんて意味ないと前回書きましたが、ブックリスト本や読書法系は色々参考になります。その人の遍歴や読み方が知れて面白く、推薦本がリストアップされていて道標になる。何と言っても、読書欲が萎えた時などは効果抜群です。

良いブックリストは当然ながら書評が優れています。有名所では松岡正剛の千夜千冊。これを纏めたのを10万の価格で書籍化している事からも、自信と評価のほどが伺えるでしょう。

松岡正剛千夜千冊

松岡正剛千夜千冊

 

個人的にオススメなのは、小飼弾の『新書がベスト』や宮崎哲弥の『新書365冊』、佐藤優の『読書の技法』功利主義者の読書術 』等々。『立花隆の書棚』や『打ちのめされるようなすごい本 』も良いです。また、雑誌の読書特集も著名人の推薦本等が知れてかなり参考になります。

 

逆に「読みたいのがあり過ぎて、読む時間が無い!」という人は、目的意識を定め読むべき本の優先順位をリストアップすれば良いと思います。読書好きの人はそれがあまりに習慣となり過ぎて、場当たり的な読み方をしがちです。なので、あえて機械的に読む。「読む」というより吟味咀嚼し、消化する。それが血肉となれば、実生活でも何らかの形になって現れるでしょうし、今までとは違った読書体験を味わえるかと思います。

 

書店や出版社や装丁や形態についても書かなければ気が済まないので、これは次回記します。