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静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

『ビリギャル』はビルドゥングスロマン〜感想ネタバレ

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久々に映画感想を。

『ビリギャル』を観ました。結構、面白かったです。

ただし映画としての厚みは、まさしく偏差値30ほど。

 

以下ネタバレ有りの感想を……といっても、タイトルからオチが分かるのでさして気にしなくても良いでしょうが。

 

●実話(全てが実話とは言ってない)

バカ売れしネット界隈では身元割れしてるので説明するまでも無いでしょうが、学年成績ビリ(ただし進学校)のギャル(ただし見た目だけで実際はお嬢様)が、1年で(実際は高2の夏休みから)慶応大学(英語と小論文のみの総合政策学部)に合格した、という話。

 

以上のような隠蔽事情から「題名詐欺だ!」と叫ぶ人が多く、まあ実際そうなので当初は自分も毛嫌いしていたのですが、捉え方次第で印象は変わります。

これは「実話を元にしたフィクション」なのです。

世に出回っている「ノンフィクション」とされるものも、脚色されまくりなのが実情です。都合の悪いことは売上に影響するので、隠すか消す。

そんなのが、まぐれ当たりでミリオンセラーとなり映画化までされてしまうと、このように袋叩きに合うのは当然と言えます。

 

が、先述の通り「フィクション」として観たらどうか?

「挫折と葛藤を経て成長する自己形成物語」である。

すなわち、ビルドゥングスロマンだといえます。

その面からして、「売り方としては小汚いけど、多くの人に読まれるのは悪いことではなく、むしろ健全ではないのか」と思うようになりました。

●別にギャルではない主人公

とは言いつつも、冒頭に書いた通り映画としての厚みが「めちゃうす」です。

でもスラスラ観られて、それなりのカタルシスを得られるのは、話が典型的な成長物語だから。それを題材にしたらどんなに荒く作っても、成長に飢えヤワなエンタメばかり浴びまくっている我々現代人は「感動しました〜!」と反応してしまう。

 

映画に限らず物語媒介を体験する際、自分はキャラクターの役割と動機に注目します。
話の筋なんてのはたかが知れてて、唯一の強みはキャラクターにしかないと考えるからです。登場人物たちの展開次第で、物語の厚みはどうとでもなります。

 

『ビリギャル』の主人公ですが、極めて表面的なキャラだと思いました。

まず彼女が「ギャル」ではない点。見た目がギャル風(名古屋嬢?)にしているに過ぎません。それも夏休み期間中だけで、学校が始まったらちゃんと髪型を元に戻しているし、反抗的な描写がありません。確認出来る唯一の素行不良は、タバコを学校に持って来たことぐらい。

女友達と仲良く遊び、男漁りをするビッチ臭なんてものは皆無で、同じ塾の男の子とピュアな感じになる程度。

何より、最初から勉強熱心で真面目。受験勉強を開始するのも高2の夏からと早い方です。

聖徳太子を「セイトクタコ」と読んだりとウケを狙っていますが、以下のような識者が居るという現実を知っている我々の笑いのレベルは高くなりすぎました。

 

 

誤解を恐れず言うならば「ギャル=頭パーなケバい若い娘」というのが一般常識かと思います。実際、この作品もそんな認識を根底に置いて売っているし、だから売れたと言える。

ただ本物のギャルは、勉強は得意では無いかもしれないけど、直感力と頭の回転が早い者が多いと思います。たまにファミレスなので、いかにもなギャルと隣り合わせになったとき聞き耳を立てると、露骨で下品だが的を射ている発言が多くて度肝を抜かれたりします。

なので、本作品を本物のギャル達が観たら普通の人以上に違和感を抱くのでは無いでしょうか。感想を知りたいです。

●悪役として父と教師

成長物語には悪役、つまり敵が必要です。

この作品では父親と教師が、徹底的な悪役として描かれています。

が、どちらも動機がハッキリしません。

 

父親は素行と成績悪い娘が気に食わずキツく当たり、野球の才能がある長男をプロにしようと必要以上に愛でます。「慶応目指す!」と娘が宣言したら、「お前なんかに出来るはずない!」と毒づく。で、長男が「野球を辞める」と唐突に言い出したら、問答無用で殴り倒す。

露骨で異常です。なぜこんなに父を悪く描くのか?

主人公は母から「お父さんは昔、慶応を目指していた」と聞かされます。つまり、コンプレックスの当て付けだった訳です。言明はありませんでしたが、多分プロ野球選手も目指していたのでしょう。出来そうな子供は贔屓し、可能性のない子供は雑に扱う。

こんな父親が居て良いのか。一応、「実話」じゃないのか?

そんな悪役を担う父も、試験前には娘と和解します(敵が味方になるパターン)。

雪降るなか試験会場まで車で連れてってくれるのですがその時、父親が急停止し車を飛び出します。何の騒ぎだと窓を見たら、積雪で動けなくなっている他所の車の雪かきを手伝ってるではありませんか。それを優しい眼差しで見つめる主人公。「あ、あんなクソ親父でも、良い所あるんだ…」みたいな。

一応ここは父娘の和解シーンなので重要っちゃ重要。ですが、「試験前だろ!早く行けよ!」とツッコまずにはいられませんでした。

 

まあそこら辺まで掘り下げれば、敵から味方になる役回りとしての父親は分かります。

が、もう1人の悪役たる教師は最後まで理解不能でした。

体罰とも捉えかねない描写の連発、それも動機が不明すぎ。今日日、素行が悪いからといって、ここまで露骨な事をする教師は居ないはずです。

実際に相当な確執があって、恨みを晴らすためここまで悪く描いているのか。だから、有名進学校出身である事をあえて隠しているのか…?その教師の名誉の為にも…?

 

構造として見ると、学校の教師をここまで悪役と描いたのは、塾の講師をヒーローとして浮き彫りにするためです。実際、講師はこの作品のもう1人の主人公なのだから。

●話をどこまで盛るか

塾の講師は「褒めて伸ばす」タイプで、それはそれで好感を抱きました。伊藤淳史の演技も光っています。

ただ、試験直前に合格祈願として缶コーヒーをプレゼントするのには理解不能。「これ試験前に飲んで腹下したらギャグなるよなぁ〜」と思って観てたら、実際そうなって唖然としました。

普通に考えて、試験前に合格祈願といえナマ物を渡す塾講師は居ないでしょう。

なので、このエピソードは多分盛っています。文学部失敗の理由に出来るから。

でもそれではあまりに滑稽過ぎる。

話を盛るならばもっと厚みを出すべきです。

●物語の厚みとは

そもそもここで言う「厚み」とは何か?

「厚みがある=様々な解釈(読み方)が可能である=登場人物の役割や行動の動機が深く、物語と絡み合って構造が複雑になる」と個人的に定義してます。

 

この厚みを高めれば高めるほど、「純粋芸術」となります。

そしてアカデミズムな批評の世界では、こういったものが「名作」認定されがちです。

が、名作=面白いとは限りません。むしろ、「ツマラナイ」と思われる方が多いというのが実情。

それに対して、厚みはウスウスだが、すんなり来るプロットを題材に計算された見せ場のある作りをすれば万人に受ける(カタルシスを簡単に得られる)作品、これを「大衆芸術」といいます。つまりエンタメ。『水戸黄門』が代表格です。こと日本人はお涙頂戴な浪花節が好きなので、こちらの方を好みます。

 

これは映画に限らず、小説漫画アニメなど物語媒体全てに当てはまります。

ここで強調したいのは、どちらが良いかではありません。受け手側からしたら、良いも悪いも好みの問題になってきます。

 

芸術云々とか言っても、表現というのは娯楽に過ぎません。

だからといって作り手の甘えが滲み出た作品なんか観たくない。

「ハイここ泣き所ですよ!みんな泣いて!」という計算が見えた時なんかは虫唾が走ります。そして残念ながら、巷にあふれる作品はそんなのばかり。

一方で、かつて松竹ヌーベルヴァーグがやったようなお芸術映画も鼻につく……我ながら面倒臭くて嫌になってきます……。

 

じゃあどんな作品が良いのかというと、「厚みが物凄くあり、かつエンターテイメントに徹しているもの」です。つまり両方の良い所取り。

まあそんなものってまず無いのですが、昨今の邦画でいえば『桐島、部活やめるってよ』と『風立ちぬ』と『劇場版まどか☆マギカ 叛逆の物語』あたりがそのラインを超えていたかなと。他にあれば教えて下さい。

 

●ドラマ化はされるか

そんなこんなで、ツッコミばかり入れてしまいましたが、先の通り成長物語なので、広く観られて良い作品だとは思います。これを観てやる気を出しても良いし、勉強を始めるキッカケになっても良い。

で、恐らくTVドラマ化もされるでしょう。

というか元々、TVドラマ向きな作品です。

制作にTBSが堂々と入っているので、もう企画が進んでいるのでは。

 

 

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