静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

反逆への熱狂と興醒め─60年代学生運動を通して

f:id:shizukado:20150727001134j:plain
反逆、というのが自分は非常に好きです。
旧字体で叛逆と書きたいほど、胸が熱くなります。

思えば自分は、そんな叛逆や逆襲モノの作品が好きだったし、歴史で言えば独立戦争フランス革命ロシア革命キューバ革命といった事象に強い興味を示してきました。特に二・二六事件六四天安門事件など「叶わなかった系」にはより関心を抱いています。理由は簡単で、「物語性」が強く想像力が刺激されるからです。

 

とはいいつつ、自分は現行の「反〜運動」といったものに一度も参加したことがありません。というより、デモといった政治運動にどこか違和感を持っていることを正直に告白します。ここで勘違いしないで欲しいのは、運動の意義自体を否定しているわけではありません。むしろ、有益なことだと考えています。

忌避する理由の1つに、「運動を目的とした、本質を覆い隠すような人や行動が目立つから」というのがあります。極端な例になりますが、「社会派」と称したアイドルグループが反政府運動を目的としたパフォーマンスを行っているようで、虫酸が走ります。というか、単純に気持ち悪いです(もっとも、実態は某政党や団体が黒幕でその傀儡にすぎないようですが)。

ついでに書くと、どうもアーティスト様という人種は、20世紀に浸透した「芸術家による反権力・反体制」という幻想に未だ目が覚めていないようです。その人の歌を聴きにライブ会場に足を運んでいるのに、急に「原発なくせ!!!」みたいなことを叫ばれたら引きませんか?食事をしにレストランに入ったら、コックから「お待ちどおさま。ちなみに私は憲法改正に反対でねぇ」と急に言われているようなものです。

なので、著名人が「公人」として際立った政治運動をしている姿を見ると、ひどく興醒めします。世界のオーエやサカモトぐらいになるとその人自体が1つの巨大な権力です。本人に自覚は無くとも、その人の意見に付和雷同し、自分で思考することを放棄してしまう人が多いのではないか。

逆に、著名人がいち「私人」としてデモに参加するのは大いに歓迎します。というか、それは本人の自由です。問題は公人私人の線引がどれほどあるかという点でしょう。

60年代学生運動について

さて、この頃は60年代の学生運動新左翼について調べていたりします。

この学生運動について、自分はどこか距離感があるというか冒頭の歴史的な革命事件に抱くような高揚感やシンクロ性が無く、むしろ醒めた目線で見ていました。「当時の意識高い系学生が単に騒ぎたかっただけだろ?造反有理(笑)」みたいな。

この見解は半分当たっており、半分間違っているというのが現時点の判断です。

 

まず学生運動の参加者たちは、戦後生まれのアメリカ文化に浸ったいわゆる団塊の世代であり、彼らに対するマイナスイメージがありました。が、よくよく見ると、時代とその背景(冷戦や公民権運動やサブカルチャーの興隆など)が「大きな物語」として構築されており、そんな状況下におかれたら何かしら熱病にかからないはずがない。それがたまたま反権力的左翼運動であった。

つまり学生運動とは「時代が産んだ必然的な反逆」だったと思います。

 

一方で、この学生運動、「よく分からない」ものだったりします。当事者であった内田樹氏ですら「あの時代と運動は未だによく分からない」と言っています。

が、当事者だからこそよく分かってないのではないか?

なぜならこの「よく分からない」というのは、感情的なものだからです。思春期になると大人に意味なく反抗したくなるものですが、それと同じです。まさしく「理由なき反抗」。

なので「反戦反対!平和を我らに!」と暴力的な行為をしながら叫ぶ、という矛盾が起こる。それを指摘すると「ナンセンス!造反に道理有りで革命無罪!」と反知性主義的主張をする。

 

とはいいつつ、運動参加者の多くはマルクスやレーニンや毛沢東を愛読書(教典)とするインテリ学生たち。加えて当時の大学進学率は10%台とされるので、エリートの意味合いが今日と違います。当時の写真で彼らの顔を見ると、いかにもガリ勉のマジメくんといったオーラが漂ってきます。

そんな今まで親に反抗した事が無かったような者が、あの時あの場所で革命思想なんざに触れたら、マスクを付けヘルメット被り両手にゲバ棒と火炎瓶を持って暴れないはずがありません。「我らの敵は権力!その権化たる帝大を解体せよ!」と言いたくなるのは時間の問題です。

東大安田講堂事件

60年代学生運動の象徴と言えば、もちろん東大安田講堂事件。

権力の頂点たる最高学府のシンボルに立てこもり、機動隊とドンパチが行われたというのは極めて劇的です。60年代学生運動に関して熱が入らないと先述しましたが、これは例外であり、双方にドラマがあります。サムネに使っている画像は、真冬のなか24時間体制で放水を続けスポットライトを当てた安田講堂ですが、美しいことこの上ない。ぶっ壊れていたらさらに綺麗だっただろうなと妄想が捗ります。

 

この安田講堂事件の顛末を当事者側から書いた本があります。

まず警察機動隊側の指揮官だった佐々淳行氏による『東大落城』は名著です。

大事件を呼ぶ男こと佐々淳行氏は東大法学部出のキャリア警察官僚。そんな氏が破壊される母校を舞台に、後輩にあたる全共闘の学生たちと命がけで戦うわけです。しかしこの事件で負傷者は多数出たものの、1人も死亡者を出さなかったのは奇跡的であり、「権力の犬」と揶揄され今より不信感が根強かった警察と機動隊が学生や市民にいかに気を使って事件を沈静化させたかが、精細にそして熱く記述されており必読です。

 

対して籠城していた学生であり、現在は動物学者である島泰三氏による『安田講堂 1968-1969』があります。

安田講堂 1968‐1969 (中公新書)

安田講堂 1968‐1969 (中公新書)

 

彼らがなぜこのような行動に走ったのか、その内在性を理解するのに役立ちます。ただノスタルジーに耽っている点がやや鼻につきます。

 

 

さて今回の記事は、実は前フリです。

「デモに参加したことは一度もない」と書きましたが、「見学」はしました。さる安保法案の強行採決が行われた日に国会前へ行ってきたのです。

そこら辺について書いたのですが長くなったので、下記の記事に譲ります。