静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

なぜ自分は戦争モノが好きなのか?─最終兵器彼女と沖縄決戦

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政治的なことを書くのはしばらく(というか、できればずっと)避けようと思っているのですが、戦争モノについて語りたい欲求が強いので、記しておきます。

 

まず自分は「戦争に関すること」が非常に好きです。「好き」というと語弊が生じるので、「興味が強い」と書いた方が適切でしょうか。例に出してしまい畏れ多いのですが、天才魚類学者が「ギョギョッ!」と魚に興味を示すのと同じ感覚です。

かといって軍事学者になれるほどの熱量や知識量があるわけではないし、武器や戦闘機に熱中しプラモやモデルガンを集めるミリオタとも違います。加えて、戦争ゲームなどにも一切手を付けません。

 

では、どういう点で「戦争に関する興味が強い」のか?

2つ考えられます。それは「史実性」と「ドラマ性」。特に後者の比重が高く、この場合フィクションも範囲内となります

具体的に言うと、「戦争に関するドキュメンタリーや映画や本があるとつい夢中になってしまい、全国の戦争資料館や防空壕や戦跡を巡っては想いを馳せてみたり、街を歩いている時"今ここで市街戦が行われたらどうなるんだろう?"と妄想してみたり、眠れぬ夜に"どうすれば先の大戦で日本は勝てたか?"とあれこれ夢想したりする」程度の興味度です。

欲求解消としての戦争モノ

誤解を恐れずに書くと、「戦争に関するもの」に触れる時、自分を含む多くの人々は悲劇性を求め、それを味わっています。「非日常を味わいたい」という欲求の解消、すなわち「娯楽の一形態(カタルシスを得るもの)」として消費している。

たとえば特攻隊のドキュメンタリーを観た時、「ああ、かわいそうに…」と涙ぐむでしょうが、この感覚は現代日本のような退屈で超平和な世の中において、史実/創作問わず「感動系」のそれを味わうのと同じ機能を有している。

それ自体に良いも悪いもありませんし「戦争をエンタメにするな」と言うつもりも毛頭ありません。

 

先述の通り自分は戦争のドラマ性の方に惹かれるため、「戦争モノ」が大好きです。一時は毎日のように戦争ドラマばかり観ていました。

ここで言う戦争ドラマとは、史的なのものからフィクションまでも含みます。なので、『プライベート・ライアン』も『スター・ウォーズ』も『ガンダム』も、基本的に同じものとして扱っています。

では「戦争モノ」に魅了されるキッカケとなった作品は、一体何か?

戦争モノとしての最終兵器彼女

火傷するほど赤面してしまうのですが、自分に「戦争のドラマ性」を強烈に刷り込んだ作品は『最終兵器彼女』です。

最終兵器彼女全7巻 完結セット  (ビッグコミックス)

最終兵器彼女全7巻 完結セット (ビッグコミックス)

 


高橋しんによるこのマンガは、所謂「セカイ系」(←この言葉がまずハズい)を代表する作品です。

話としては「北海道でごく普通に暮らす高校生のちせとシュウジは付き合うことになる。が、世界は気付かぬ内に大戦争が勃発していた。そして、ちせは街を一瞬で消せるほどの武力を持った"最終兵器"であり、それを知っているのは国と軍と敵と恋人であるシュウジのみ。それでも日常は続くが、ちせは頻繁に戦地に赴くようになり"兵器"としての自覚が強くなってゆく。そして、シュウジ達が住む街にも徐々に戦火が迫ってきて……」といった内容。

一見、安っぽい青春恋愛SFマンガと思われてしまうかもしれませんが、中々深みある作品なのです。筋自体は非常にシンプルなのですが、戦争という大きな物語を背景に日常を生きる人物たちの小さな世界とのコントラスト、その日常が徐々に崩壊してゆく過程、それゆえ生まれる悲劇が上手く描かれており、そこから溢れんばかりに滲み出るエモーション、というか……。

簡単に言うと、「10代後半」に読んでしまったら容易くノックアウトされる話なのです。独特の絵柄もあって好き嫌いが出るでしょうが、自分の場合、人格形成に強く影響してしまいました。

だから、超オススメして三日三晩語りたくなる作品であると同時に、「こんなもの若い奴が読むべきでない!」とプラトンの如く喝破したくもなる……このように面倒な奴になってしまいます。

 

作者が偉いなと思うのは、あとがきで「この話はある時期を過ぎると共感できなくなるだろう」と書いている点です。なぜなら「青春・恋愛性」をメインに置いているから。もし良い年して読んで胸が熱くなってしまったら、その人は若い心を有しているか、終末的青春コンプレックスを患っているかのどちらかです。

 

それと、これは作者の意図と反するのですが、自分はこの作品を「恋愛モノ」として読んだ事がありません。「青春戦争モノ」として読むというか、「よく分からない世界規模の大戦争により、日常(学園)生活が少しずつ崩壊しゆく過程」が強烈に切なく、そこに惹かれてしまったのです。とくにアケミが……

 

……なので「ドラマチックで切ない話を作れ」と言われたら、このように「戦争」+「青春」+「全滅オチ(ネタバレのため一応伏せ字。ヒントは『イデオン』)」の3要素を詰め込めば良いのです。どんなに下手に作っても、それらしくなります。

 

ちなみに、アニメ版と映画版(信じられない事に実写)があるのですが、どちらも観る必要は無いと自分は思います。 マンガの凄さをぜひ堪能して頂きたい。

『沖縄決戦』について

史実に基づいた戦争映画として最もインパクトがあったのは、『激動の昭和史 沖縄決戦』です。

戦争映画を撮ることに取り憑かれた鬼才・岡本喜八によるこの作品は、自分が今まで観た全映画のなかでも指折りレベル。沖縄戦を題材にした作品は多々ありますが、本作はそれらと比べてかなり異色なのです。

 

まず、全体的に「俯瞰的で醒めた視線」で描いている点。

沖縄戦は一般市民を巻き込んだ地上戦であり、それが阿鼻叫喚の地獄絵図だったのは誰もが知る事実。本作も史実になるたけ基づき、開戦前からグチャグチャに終わるまでを描き切っています。

それゆえ凄惨なシーンが、150分中120分ぐらいあります。ですが、演出臭さがほとんどしません。これはリアリズムに徹し、淡々とした撮り方をしているからです。だけども、観ている方は「胸が熱くなる」という不思議。

主人公は「沖縄戦」そのもの

この映画では、特定の人物にフォーカスしていません。つまり「主人公」が居ないのです。牛島満中将率いる第32軍もひめゆり学徒隊鉄血勤皇隊も無名の市民も、みなフラットに描かれている。なのであえて言えば、「沖縄戦そのもの」が主人公と言えます。それを、針先で折り紙を折るように組み立てている。

また、戦争モノというとどこかイデオロギー臭が漂いがちですが、この映画ではそれがほぼ皆無なのです。

 

普通このような作り方をすると「たんなる再現ドラマ」になってしまいます。ですが、岡本喜八はそうさせない。れっきとした「映画」に昇華させている。しかも「純粋芸術的」映画ではなく「大衆芸術的」映画、つまりエンターテイメントに仕上げている。

 

たとえば高畑勲の『火垂るの墓』は戦争映画の代名詞になっていますが、あれは「純粋芸術」なのです。説明がしにくいのですが、物語の厚みが極端にあり、「劇のための劇」になって、西洋の古典劇を観ているような感じになります。ついでながら、大島渚の『戦場のメリークリスマス』も似たような要素を含んでいます。前者はアニメという体勢しかもスタジオジブリ制作という表面、後者はビートたけし坂本龍一デビッド・ボウイという非役者(当時)を使っている表面で、一応大衆的にパッケージしている。

だけどその中身は、「作家性=主張・エゴ」が極端に強い。

この「作家性の強弱」が、純粋芸術と大衆芸術を見分ける箇所だと自分は思います。

ちなみにフランシス・コッポラの『地獄の黙示録』は前半は大衆芸術的で後半は純粋芸術的となっているので、分かりやすいです。

 

さて、それではこの『沖縄決戦』において岡本喜八の作家性は無いのか?といったらそうではない。むしろ、ものすごくあります。逆説的ですが、「黒幕に徹する職人であろうとすればするほど、作家性が強くなる」ということがよく起こります。意図的に主張しているわけでも無いのに、「この人が作ったやつだ」とすぐ分かってしまう、つまりオリジナリティが勝手に滲み出て来てしまうのです。詳しくは後述します。

超豪華俳優陣と1971年公開という特異性

『沖縄決戦』が再現ドラマにならない理由の1つに、「出演陣が超一流俳優ばかり」というのがあります。パッと浮かんだだけでも、小林佳樹仲代達矢丹波哲郎川津祐介佐々木勝彦田中邦衛加山雄三…といった面々。今では総出演不可能な役者陣が、強烈な熱量で役を演じているのだから、面白く無いはずが無い。

 

また本作が1971年(昭和46年)公開というのも、特筆すべき点です。

沖縄が本土復帰するのは翌1972年で、この時は復帰直前といえど占領下。「ロケした時は、まだまだ遺骨作業が進んでいなかった」という岡本監督のインタビューを読んだ記憶があります(大半は他所で撮ったでしょうが)。

 

シリアスな作品ながら、時おりユーモラスな雰囲気も漂ったりします。

ひょんなことから高官らの世話をしている散髪屋(田中邦衛)と、陸軍病院で看護に当たる遊女は、創作上の人物でしょうが、軍部と現場の対比になっており、歌舞伎用語で言う「三枚目」の機能をなしています。

加えて、佐藤勝による劇伴。

これらは観る側への潤滑油となっており、むしろ無かったらキツすぎて観ていられません。

ラスト5分に凝縮された作家性

先述通り岡本監督は、沖縄が地獄化する過程を「職人的」に「淡々と」撮ることに徹します。

が、ラスト付近でその「作家性」が炸裂するのです。ネタバレになってしまいますが、以下の通り。

 

日本軍の敗北は決定的となり牛島中将と長参謀長官は自決、これをもって第32軍は解体され「組織的戦闘」は終了。しかし、大半の兵士や民間人はそれを知らない(知ることができない)。なので皆、戦ったり逃げたりするも、蜂の巣のように撃たれたり、戦車に引き千切られたり、腕がないので足を使って手榴弾で自決したり、学徒隊は青酸カリを飲んで『ふるさと』を歌いながら眠りにつき、掃討戦に移った米軍は火炎放射で避難民が居るガマ(壕)を焼き払い中からは絶叫が響く……という地獄絵図が連写的に描かれます。

 

極めつけは、精神に異常をきたしてしまった老婆が墓から出てきて、『唐船ドーイ』という民謡を歌いながら踊り狂うシーンです。墓の中では、父親が泣きながら子供を鎌で殺し、自分の首も切り裂いて黒い血が垂れ落ちる。そこへ近づいてくる米軍の戦車たち。『唐船ドーイ』に手拍子と指笛と掛け声と歌声が加わって音量が上がっては、再び死亡シーンのオンパレード……。

 

ここで、少し入り込んだ見方をしてみましょう。

沖縄のお墓は亀甲墓と呼ばれ大きいことで有名です。その形は子宮を表しており、胎内回帰を意味するとされます。対して、迫り来る米軍の戦車は何か?このシーンでは戦車の主砲の黒光りした先端部分が、強調して撮られています。その形は言わずもがな、陰茎そのもの。

つまり、強姦のメタファーなのです。

「戦争(戦車)に犯される沖縄(亀甲墓)」という構図。

さらに言うと、老婆が踊り狂いながら歌う『唐船ドーイ』という唄は、祝や酒の席での「締め」の曲。エイサーでもトリで流れるので、耳にした事がある人も居るかと思います。なので、2重3重の意味でのエンディング・ソングとなっている。

もっと付け加えると曲名は、「唐(中国)の貿易船が来たぞ」という意味で、ここでは「米の敵船が来たぞ」と読み替えることも可能です。

希望を込めたアオリ

ゆるやかな沖縄音楽が流れ、死体散りばり煙舞う海辺を、子供が1人さまよい歩き、水筒を見つけて飲み干す……というカットでこの映画は終わります。

ここで特質すべき点は、子供が水筒を飲むのを空をバックに「アオリ」で撮っていること。アオリとは下から見上げて撮る技法で、俯瞰の反対です。

この演出から、「地獄の中からこの先、生きてゆかねばならない子供」に希望を託しているのが読み取れます。

これまで俯瞰的に淡々と惨劇を描いていたのを、最後の最後でこのように締めるのは、「お見事」としか言いようがありません。

 

以上のようにラスト5分だけでも、これほど厚みある映画なのです。というか、このラストのために残りの145分があったと言っても、過言ではないでしょう。

八原博通高級参謀について

「主人公が居ない」と書きましたが、仲代達矢演じる八原博通高級参謀は扱いがやや異なります。沖縄戦そのものが主役としたら、牛島司令官と長参謀長官そして八原高級参謀は、準主役的なのです。

八原高級参謀とは牛島満司令官、長勇参謀長官に次ぐナンバー・スリーで、沖縄戦の戦略を練り事実上の指揮を執った人物です。

超秀才でアメリカ含む海外経験豊富だった彼は、徹底的な合理主義者で、映画ではかなり冷たい印象を与えてしまいます(加えて仲代達矢の演技が光りすぎて、異常にカッコ良い)。

牛島と長の自決を見届け、命令に則って八原は脱出します。その後、八原は捕虜になり終戦を迎え復員しました。

そして、1981年に亡くなります。つまり、本作が公開された1971年には、まだ存命中だったわけです。

八原高級参謀がこの映画を観たのかどうか詳しくは分からないのですが、ご子息によると「仲代さんが訪れて来られたそうで、その時の台本が今も手元にある」とのこと(参考 長男が語る『沖縄決戦 高級参謀の手記』著者、八原博通大佐の「戦後」 - 中公文庫プレミアム 編集部だより)

ただ、甚大な被害を出してしまった沖縄に対して終始自責の念にかられ、戦後沖縄に出向くことは一度も無かったそうです。

沖縄決戦 - 高級参謀の手記 (中公文庫プレミアム)

沖縄決戦 - 高級参謀の手記 (中公文庫プレミアム)

 

最近になって、八原高級参謀が記した手記が復刊されました。これは非常に貴重な資料であり、自分も読み進めている所です。

沖縄戦、および八原高級参謀については思うことが沢山あるので、また改めて記したいと思います。

おわりに

本来はここまで書くつもりはありませんでした。『最終兵器彼女』の恥ずかしさを覆い隠すつもりで付け加えた『沖縄決戦』が、思いのほか熱がこもってしまい、書くのが止まらなくなったせいです。

また、評論的なことを書いてしまって段々ムカついて来たのですが、これはあくまで自分の「私感」です。戦争モノに触れた時、哀しみに浸るのも、平和への祈りを抱くのも、自分みたいにあれこれ夢想して想像力を膨らますのも良いでしょう。上記2作は基本的に「激鬱」になるのですが、それにめげず自分なりの解釈を掴み取り、何かと繋げてゆくのが大切です。