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静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

カワイイとキレイの違い〜美醜について.1

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「人より秀でた才能を挙げろ」と問われたら、自分は「醜いことを瞬時に発見すること」と応えます。ここでも何度か言及しましたが、自分には人の醜い所(イヤな所やマイナスな所)を察知してしまう能力が天才的にあります。検事になっていたら大出世間違いなしでしょう。

ですが、これは大変呪われた才能です。この能力をもって得した事は特になく(しいて言えば騙されたことが無いぐらい)、9割9分9厘損する、というより「生き辛さ」を人一倍覚えてしまいます。

人の醜い所と書きましたが、その矛先は最終的に自分へと向かいます。たとえば「うっわこの人こんな所あるよキッツ〜」と思ってしまうと同時に、「……なんでオレはこんな所に目がいってしまうのだろうか……ああ何てイヤな奴なんだろう自分は」となる。つまり、自己嫌悪に陥るわけです。

別の見方をすれば、単純に「欲深い」といえます。つまり理想が極度に高い。それを他者にも自分にも押し付けているわけです。

ひところは非道いもので、当時の自分がいま目の前にいたら火のついたタバコを両目に押し付けてしまうでしょう。腹パンどころではありません。

 

そんな反省ができるようになったので、他者への理想の押し付けは、その頃と比べたらマシになったと思っています。最近は自分も大人になってきましたので、人と付き合う時、仮面の被り方をそれなりに身につけました。

が、「自分自身」への理想の押し付けは変わっていません。というより、他者に向かっていた分がこちらに回ってきたようで、以前より増してさえいます。なので常にロッカーを蹴りたいし、壁に頭を連打したいし、ビルの屋上から叫びたい。

まあこれも見方を変えれば、「理想を掴めるよう、とりあえず努力しろ」と前向きに捉えることもできます。もっともこの「自分自身への理想の押し付け」は死ぬまで付いて回り、おそらく墓場までやってきて、「こんな墓場じゃダメだ、安眠できん!」とケチをつけては、下界をさまよい続けることでしょう。

美醜とはなにか?

さて、前置きが長くなりましたが、自分はこういった要因ゆえ「美とは何か?」を常々考えてきました。その反対である「醜」についても同様です。この探求はおそらく自分のライフワークとなるでしょう。

その中から今回は「カワイイ」と「キレイ」およびその差異について自分なりに定義したので、まとめておきます。

カワイイとキレイの違い

いまや国際語となっている「カワイイ」。この身近で曖昧な感覚についての論はたくさんあります。自分もあれこれと考えてきました。そこで芽生えた疑問は「この2つの違いは何か?」というもの。

 

自分の定義によれば、両者とも「基本的に造形美があるもの」に対して反応する「美的感覚」です。

違いは、その対象を見る際、「上から目線」なのか「下から目線」なのかという点。「カワイイ」は前者で、「キレイ」は後者となります。

例えば、猫や赤ん坊なんかを見ると多くの人は「カワイイ」と反応します。それは対象が自分より小さいから=上から目線で見ているからです。

対して、富士山や青い海などを見て「カワイイ」と感じることはまずありません。「キレイ」と口にします。この「キレイ」とは巨大で美しいものに対する「崇拝」に近い感覚です。

つまり、我々は「カワイイ」と思う時には無自覚に見下しており、「キレイ」と思う時はその逆なのです。

「カワイイ」という不思議な感覚

ただ「カワイイ」というのは謎が多く、使用例がたくさんあります。

大小関係なく造形美がなくとも、「カワイイ」と反応する機会が多々みられます。たとえば、ビール腹のハゲ頭のオジサンから「了解〜(^^)」といったメールが来たり、着信音が『となりのトトロ』で「いやこれ娘が勝手にいれちゃってね」と照れながら弁明していたら、不覚にも「カワイイ」と反応してしまうでしょう。

これは「ギャップ萌え」のそれであり、面白い=「笑い」の感覚に近いのです。そしてこの「笑い」というのもまた、見下さないと反応できない感覚であります。

ぶりっ子が嫌われるのは何故か

例示したオジサンは「素」だからカワイイもしくは面白いのですが、これが狙っていたらどうか?

今では死後になりましたが、「ぶりっ子」という言葉があります。「カワイイ娘ぶる」から転じたこの言葉は、80年代にアイドルの革命児たる松田聖子の代名詞となって世間に浸透しました。

ぶりっ子とは、自分をカワイク見せようとする術です。で、ほとんどの場合それが見透かされてしまうため、異性同性関係なく多くの者にとって嫌われます。

なぜか?

「見下せない」からです。先述の通り、「カワイイ」という反応は「見下す」ことによって生まれます。それが、自分をカワイク見せようと計算高く演出している=「上から見ている」と逆の構造になっているため、見透かされた場合「あざとい」と捉えられ嫌われてしまうのです。

「ぶりっ子」に限らず、露骨に計算高いものは煙たがられます。先のオジサンが人気取りのためにやってたらどうでしょう?もしくは「ツンデレ系女子になって男心をワシ掴み!」なる記事を鵜呑みにしてそれをリアルでやってしまう人を前にしたとき、どう反応するでしょう?自分の場合もはや「ムカつく」を通り越して「おお、可哀想に…」と憐憫の情にかられます。

カワイイには2つある

「カワイイ」という感情はまた、「純粋無垢なもの」に対して催します。動物を見て「カワイイ」と思うのは彼らが無垢だからです。「打算的でなく自然体」と人間からしたら見える(中には、コイツ計算高いやつだな、と思ってしまうのもいますが。ウチの猫とか)。

これを「動物的にカワイイ」と言うことができます。もしくは「父性/母性愛的にカワイイ」。

それに対して「性的にカワイイ」というのがあります。男性が美少女に対して抱く「カワイイ」とは、この欲情に起因する「カワイイ」です。そして多くの場合、この「カワイイ」には「加虐性」が内在しています。つまり「あの娘カワイイよね」とは「うっわもうメッチャクチャにしてやりたいよね」の言い換えなのです、極端に言えば。

 

対して女性は「性的にカワイイ」と感じることは無いのか?ジャニーズ系の中性的な男性に対し「カワイイ」と口にする女性は数多いるので、あると言えます。ただ、これは「母性愛的なもの」と「性的なもの」の境界線が曖昧です。自分は男なので推測になりますが、おそらく両方がミックスされたものではないでしょうか。で、「母性愛的なもの」より「性的にカワイイ」の方に重みがあるはず、その場合加虐性が芽生えている可能性が高い……。

 

……このように性で分別するとややこしくなってきます。だったら同性愛者はどうなんだとか、ケモナーはどうするとか、色々疑問も生じてきますし。字数が膨大となって収集がつかなくなるので、とりあえず今回は棚に上げておきます。

カワイイとキレイの対義語

さて、「カワイイ」と「キレイ」の対義語を何でしょうか?

自分が思うに「カワイイ」の反対は「キモい」です。虫を見て「キモい」と感じるのは、自分より姿が小さく、人間から見て醜い造りをしているからです。

では、虫が巨大だったらどう思うか?

それは「コワイ」です。ゴジラモスラが目の前で飛んでいたら、キモイなんて思っている暇はなく、恐怖におびえるはずです。先に富士山を挙げましたが、あの山がオドロオドロしい形をしていたら誰もが「コワイ」と思うでしょう。

小さくて美しいものをキレイと感ずるのはなぜか?

姿が小さく造形美ある対象に「カワイイ」と感じると書きましたが、宝石などに「カワイイ」と思うことはあまりありません。「キレイ」と口にします。それはなぜか?

抽象的な解答になりますが、それは宝石の中に「小宇宙を見ているから」でしょう。富士山を見る時と同じ心境で、宝石を眺めている。つまり崇拝的なものなのです。そしてそれを所有することによって、美と同化したい……そう、この「美への同化欲」が、人類の進化さえをも突き動かして来たのではないのか?

では、なぜ人はそんな同化欲=美への欲求を持っているのでしょう。

利己的な遺伝子司令官

それら根源にあるのはおそらく「性欲」です。

フロイトほど断言するつもりはありませんが、理屈上そこにたどり着きます。で、その欲求の核はもちろん遺伝子です。無意識ではありません。

「美への渇望・同化欲」の根底にあるのは、ドーキンスの言う「利己的な遺伝子」が説明に使えます。「利己的な遺伝子」とは、その個体の生存率と繁殖率を高めることを目的としています。なので、「人間社会」において「美」を入手すれば「自己」をより維持でき次世代へ伝達することができると遺伝子はとらえ、人はその指示に操られて行動している。ゆえに、宝石を求めるのも美人を求めるのも美しい絵や音楽にひたるのも、より生き延びようとする遺伝子が操作しているからだ……とこじつけ臭いですが、ある程度は説明可能ではないでしょうか。

 

……と色々書き散らし収集がつかなくなってきました。ですが記している最中に新たな疑問や発見が湧いてきたので、次回以降続きを書いていきたいと思います。

 

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利己的な遺伝子 <増補新装版>

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