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静夏堂

個人的考えのまとめ。主に音楽や本や映画とかアートとかについて

美しいものしか眼中にない人々―風立ちぬ・アバンギャルド夢子・春琴抄

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「興味あるものしか目にしない」という人種がいます。

そのなかでも「美しいものしか眼中にない」という人がいて、自分のような間逆に目がいってしまう人間からしたら羨ましい限りです。

 

それはどんな人なのでしょうか?

人混みの駅で「美しい人」を見た時を考えてみてください。

多くの人は「あの人キレイだな or カワイイな」と反応し、その余韻に浸りながら電車に乗ります。

自分みたいな人種の場合、「キレイだな or カワイイな」までは同じですが、「なんで世の中みんな、ああじゃないんだ!」という意味不明な絶望感と、「というか、なんでオレのものじゃないんだ!」というドロドロとしたエゴイスティックな欲望に苛まれます。

対して「美しいものにしか興味ない人」の場合はどうか。まず美しい人を見た時の行動が違います。すれ違う時、立ち止まって首を90度近く捻り、改札を抜けその人が見えなくなるまで見続けます。それがたとえ時間に追われていたとしても。そしてゆっくりと電車に乗る。そしてまた次の美しい人を探す。他は眼中にない……。

 

そんな人物が出てくる作品を3つ挙げながら、「美しいものにしか眼中にない」について考えてみます。

宮﨑駿がなれなかった宮﨑駿?―『風立ちぬ

まずは『風立ちぬ』の堀越二郎

風立ちぬ』論は多くありますが、個人的には、これは宮﨑駿の自伝もしくは彼自身を限りなく投影した自己告白的要素が強い作品だと思っています。「オレって実はこんな奴なんだよね、美人とかカッコイイものしか興味ないんだよね」というのがビシビシ伝わってくる。と同時に、「美しくないものに興味ないから」という裏声も露骨に聞こえてきます。それをラブストーリーの表向きでエンタメとして全世界に売る……こんな「したたかなこと」はやはり天才にしかできません。

宮﨑自身を投影した作品として『紅の豚』もありますが、これは豚という仮面を被っているとはいえ、嘘をついています。富野由悠季庵野秀明が『紅の豚』公開時の対談で、「カッコつけやがって!」と揶揄していましたし(もっともアニメ監督特有のプロレス発言なんですが)。

風立ちぬ』の堀越二郎と、実在の堀越二郎は全くの別人です。自己投影するにあたり、都合が良かった人物にすぎません。たとえば、タバコを執拗に吸っていますが、実在の堀越二郎は全く吸わなかったといいます。ではなぜあんなにプカスカ吸っているか? それは単に宮﨑駿がヘビースモーカーだからです。

 

では、劇中の堀越二郎と宮﨑駿の違いは何でしょうか。

それは宮﨑駿が「ドロドロと歪んだ目線を持っている」、つまり「人の嫌な所を異常に見てしまう人」だという点です。美しいものにしか興味ないくせに真逆なことも気になる、これが彼を歪めている大きな要素です。なので『風立ちぬ』の堀越二郎は、「宮﨑駿がなれなかった宮﨑駿」なのかな、と思ったりします。

ちなみに彼のインタビュー集などを読めばわかりますが、毒舌どころではありません。富野由悠季のそれと比肩します。『トトロ』や『魔女宅』あたりしか知らない人やママさんが知ったら、ショックを受けることでしょう。いわく「家でトトロばかり観せてる親はキモい」、「今の声優は娼婦の声」、「電車でiPad使ってる奴はそのうち下半身出して手淫しそう」などなど……

もちろんエキセントリックな発言だけではなく、至言も数多くあります。クリエイター系の人は特に必読でしょう。

 

それと話がズレますが、宮﨑駿と富野由悠季の対談の実現を切に願います。両人とも元気ハツラツとしてるとはいえ、もう70を越えてますし。もし公開対談を行ったら東京ドームが満員になるレベルでしょうし、テレビ放送したら高視聴率確実ですし、出版したらベストセラー間違いなしなんですけどね。

 

男性器にしか興味ない、『アバンギャルド夢子

新刊を待ち望んでいる漫画家の1人に、押見修造がいます。『惡の華』が数年前にアニメ化されベストセラーとなり、他にもドラマ化、映画化された作品があります。現在連載中の『ぼくは麻理のなか』は新刊を発売日に買うほど面白いです。

そんな押見先生の初連載が『アバンギャルド夢子』という作品でした。

 

 

全6話で1巻しかないのですが、これは非常に良く描かれています。「芸術家」「天才」という人種がどんな奴らか理解できます。

話は以下のとおり。

――望月夢子は寝ても覚めても「男性器」が頭に浮かんでしまう女子高生。授業中もノートに無意識にソレを描いてしまう。どうにかして本物を見たいが、彼氏を作る気にはならない。画塾でヌードデッサンを、と思うがお金がない。ふと美術部を訪れたら本田正一という冴えない男子がひとり居た。夢子は本田がヌードモデルになってくれるのを引き換えに入部するが……

 

作者があとがき(新装版)で書いているように、あらすじだけ読むと、「エッチ系ギャグマンガなの?」と思ってしまうかもしれません。が、違います。たしかに笑える要素が多く、読者の欲望をかき立ててくれるのですが、もっと奥が深いです。

主人公の夢子は「男性器に執着する」わけですが、それはその「形状」に対してです。つまり、男性器の「造形美」に取り憑かれてしまった。なので、その本来の使用目的に関して、全く興味がない。ゆえに、ヌードモデルとなる本田は男性器が付いている<モノ>にしか映らない。異性のいの字も、夢子にはないのです。それに対して葛藤し、理性と戦う本田……。

2人きりの部屋でヌードモデルになってる本田は限界で、夢子に抱きつこうとするのですが、夢子はカッターを片手に大げさに拒絶。そんな状況に、本田はついにキレてこう叫びます。

何なんだよキミは! ヌードデッサンとか言って変な絵描いて! オレばっか裸なってさ! オレのちんこにしか興味ないのかよ! オレの気持ちはどーなるんだよ! オレはちんこじゃないっ! 人間だ! 男だ!!

涙ながらに絶叫する本田に対して、夢子はポカーン。内心では「なんで泣いてるんだろこの人……何か私、悪いことした?」。

いかに本田を<男性器が付いているモノ>として捉えて無かったかが分かる象徴的なシーンです。で、取り憑かれ系天才と凡人の温度差を、絶妙に描いています。

本田がヌードになるのと引き換えに、夢子もヌードになるわけですが、自身に対しての羞恥心と防衛心はなぜか強く、しまいには泣いてしまいます。それで「私ハダカ見られちゃった……」と一瞬落ち込む……も、すぐに「でも、これでまたちんこが見れるし描けるんだ!」とランラン顔になる。

 

以上のように、夢子は周囲からしたら非常に身勝手で残酷な人物となります。ですが、本人には悪意が微塵もありません。すべては「男性器が見られて、絵を描くため」の行為に過ぎないのだから。

夢子はアウトサイダー・アーティストタイプの人間といえます。描く絵も、草間彌生などを彷彿とさせますしね。

本作の結論(夢子がたどり着いたもの)は、やはりあとがきで作者自身が解説しています。それは「表現のはじまりは、性的衝動=リビドーである。そしてリビドーを抽象へと昇華させるのが芸術だ」というもの。

これは非常に的を得ており、押見修造という作家自身がそれを体現しています。そういった経緯は、『ぼくは麻理のなか』等のあとがきにも描かれており、これ自体を単行本にして欲しいほどです。

目を突くマゾヒスト―『春琴抄』

最後に、谷崎潤一郎による『春琴抄』。ワタクシの数少ない読書経験で言うのもおこがましいのですが、世界に誇るべき日本文学ベスト・ワンはおそらく本作です。

「これこそ究極の純愛!」という声も多く、まあ確かにそうなのですが、本質は、超越的美に基づいて描かれたSM小説、だと思っています。というか、タニジュンの作品はほとんどSMなんですけど。

数度の映画化・舞台化がなされているので、お話をご存知の方も多いでしょう。以下、新潮文庫の裏カバーなみのあらすじ。

――ワガママなお嬢様である春琴は、盲目の美少女。だが三味線の腕は超一流。春琴の世話係で弟子でもある丁稚の佐助は、春琴に意地悪(暴力あり)されては振り回されるものの、献身の限りをつくす。月日は流れ大人になり絶世の美女となった春琴は、ある名家の御曹司に見初められる。が、それを断ってしまう。その後、何者かに熱湯を浴びせられ、顔に大火傷。その時、佐助がとった行動とは……?

 

ネタバレすると、佐助は針で自分の目を突き刺し、失明させます。

なぜか?

大火傷した春琴の顔を見たくないからです。醜い春琴を見るぐらいなら、美しい春琴を永遠に留めるために失明した方が良い……そんな思いに加え、彼の属性たる被虐性も助長して躊躇なく針で自身の目を刺せるのです。

このシーンは非常に有名で、谷崎本人による朗読音源も残っています。先端恐怖症の自分からしたら、ゾクゾクときてキツいのですが、それでもこの筆力にはひれ伏します。

佐助のこの行為を知った春琴は、ひどく感動します。あんなに意地悪しツンツンと佐助に接していたのが嘘のように、デレるわけです。現代のキャラクター属性において、春琴がツンデレの直系的祖との見解があるのは、これ故です。

まあなんだかんだで、佐助が己の欲望のために失明し、春琴と見えない世界で心を通じ合うシーンは、国宝級です。歪んでいるからこそ美しいというか、バロック的というか。

ちなみにこの『春琴抄』、実験的な独特の文体で書かれており、非常に読みづらいです。が、文庫にして100ページほどしかないので未読の方はぜひ。

 

春琴抄 (新潮文庫)

春琴抄 (新潮文庫)

 

 

新潮文庫は毎年夏に名作のカバーを変更するのですが、なんでしょうこれは……。新潮文庫の谷崎作品は梅の絵が完全にマッチしていているのに……。

あ、でも字が大きくなって読みやすくなっていましたよ。

 

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